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2-12 救いの情け [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「あの子、連れて行こう。」
佐原が言った。
「何、言ってるんだ?連れて行ってどうする?」
下川は、余りに突飛な佐原の言葉に、驚いて訊いた。
「だが、このままじゃ、可哀そうだ。皆、死んでしまって・・あのままじゃ、あの子も死んじまう。」
「そう言っても・・連れて行って、どうするんだ?」
「わからない。だが、このままじゃ・・・。」
佐原は涙を流している。
二人が話している間に、その幼子は、血の海の中をぼんやりとした表情で歩いて、裏口まで出てきていた。
「仕方ない!」
下川はそう言うと、目の前に立っている幼子に、自分の上着を掛け、まるで目隠しをするようにして、脇に抱え込んだ。幼子は抵抗しなかった。
「行くぞ!」
下川はそう言うと、佐原の背を叩き、車に向かって走り出した。佐原は、大きな袋を二つ抱えて、下川に続いて暗闇の中に走り出した。
周囲に気を配りながら、林の中に隠しておいた自分たちの車まで、一目散に駆けた。すでに、上村は車に乗っていた。下川は後部座席に座り、上着で隠すように連れてきた幼子を横たえる。佐原が乗り込むと、上村は車を急発進させた。
先ほどの男たちの向かった道と同じ方向へ走り続けた。幸い、行違う車は一台もなかった。
峠道は、幾重にもカーブが続く。上村の運転する車は、タイヤを鳴らしながら、とにかく、忌まわしい現場から少しでも遠ざかりたい、その思いだけで、走り続ける。どこに向かっているかなど、どうでも良かった。峠を幾つも越えた。3時間近く走り続けたが、その間、三人は無言だった。先ほどの光景は、映画かドラマの一場面で、現実に起きた事ではないと思い込みたかった。
気づくと、空が白み始めている。
国道をひたすら西へ向かって走ったようだった。左手に広がる海、太平洋だろう。水平線から朝日が顔を見せると、長いトンネルを抜け出したような、悪夢から解き放たれたような感覚を覚えた。
上村は、国道沿いの小さなパーキングスペースに入ると、駐車場の一番隅に駐車した。
「少し、休もう。」
運転し続けてきた上村は、随分と疲れていた。体力と精神力の両方を奪われ、そのまま、シートを横たえて眠ってしまったようだった。下川は、自分の上着で隠すようにして連れてきた幼子の様子を見た。静かに寝息を立てているようだった。その寝顔を見て、下川も一気に緊張が解けて、眠気が襲ってきた。佐原は、札束が詰まった袋を両脇に抱えたまま、すでに眠っていた。
初めに目を覚ましたのは、下川だった。脇に居た幼子が目を覚まし、下川の腕を揺すり起こしたのだった。
「なんだ?」
幼子は、苦しそうな顔をしている。
「なんだよ、言ってみろ!」
しかし、幼子は何も言わず、一層苦しそうな表情を浮かべて、下腹辺りを押えているようだった。
「トイレか?」
下川が訊くと、幼子は頷く。
下川は、幼子の口に手を当て、声を立てさせないようにして、佐原を起こす。佐原は、下川の合図に気付き、そっとドアを開けて外に出た。そして、助手席のシートを倒して、幼子を外に出した。早朝のパーキングスペースには、人影はなかった。佐原は、幼子を抱えると、小走りにトイレへ向かった。
「一人で行けるか?」
佐原が訊くと、幼子はこくりと頷いた。
「行って来い。ここで待っててやるから。」
幼子はすたすたとトイレの中へ入っていく。待っている間、周囲に気を配りながら、ふと考えていた。
『あいつ、昨夜の事は覚えていないのかな?・・いや、そんなはずはない。・・あの中に居たんだ。何が起きたかくらいわかっているだろう。・・だが、どうして、泣かない?・・』
そこへ、下川がやってきた。
「トイレだ。お前は?」
「ああ・・俺も・・、先に行け。」
短い会話を交わし、下川がトイレに入る。残った佐原は、遠くに見える山々に視線を遣る。あの山の向こうで、あの惨劇は確実に起きた。おそらく、まだ、誰にも発見されていないに違いなかった。自らの罪を今になって思い知っているのだった。
ふいに、右手を掴まれ、佐原は驚いて飛びのいた。幼子がトイレから戻ってきて、佐原の手を握ったのだった。撥ねつけられるような形で、握った手を離された幼子も、驚いている。その表情は怯え切っていた。
そこに、下川が戻ってきた。二人のただならぬ様子を見た下川は、咄嗟に幼子を抱き締めた。
「どうしたんだ、佐原君。」
下川は、佐原を落ち着かせようと、わざと静かな口調で訊いた。
「いや・・何でもない。急に手を握られてびっくりしただけだ。済まない。」
佐原も冷静になって答えた。
「大丈夫だよ。心配ない。」
下川は抱きしめている幼子に言った。罪の意識からか、下川は幼子を庇うように優しく言った。
「お前、名前は?年はいくつだ?」
佐原が訊く。
幼子は、口を動かそうとするが、声は出ていない。そのうち、泣き出しそうな表情になった。
「良いんだ・・大丈夫だ。もう良い。答えなくていいよ。」
下川が庇うように言った。そして、下川は佐原に向かって、小さな声でこう言った。
「目の前の惨劇で、失語症になっているのかもしれない。無理に訊かない方が良い。」
下川は医学生だった。精神科の領域も学んでいて、幼子の表情や仕草から、そう推測した。
「だが・・どうする?名前が判らないんじゃ・・。」
佐原が訊く。
「この子の名は、優香だ。・・家に入った時、表札を見た。間違いない。・・年は判らないが、体格から推察すると、おそらくまだ学校に入っていないんだろう。」
下川はあっさりと答えた。

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