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2-1 来客 [スパイラル第2部遺言]

2-1 来客
一ヶ月ほど、穏やかで幸せな日々が過ぎた。
もう年の瀬が近づいていた。配送の仕事も随分と増えてきた。ミホが事務仕事をやるようになって、手が空いた奥さんも配送の仕事に出るようになっていた。
昼間は事務所にミホ一人になる事が増えていた。

事務所の外で車が停まる音がした。
「失礼します。」
事務所のドアを開けて、一人の男がが訪ねてきた。
洒落たスーツに身を包み、髪型も短く切りそろえられていて、黒いアタッシュケースを持っている。
襟元に金色のバッジが付いている。

ミホ一人だった。
男は、しばらく事務所の中をぐるりと見渡して、何か様子を伺っている。
ミホは何か変な感情が湧いていた。怖れのような、威圧感のような、その男の顔をまともに見れない嫌な感覚だった。

ミホは、男と視線を合わさないようにして立ち上がり、小さな声で訊いた。
「何か御用でしょうか?」
その男は暫くミホの様子を伺っていたが、おもむろにスーツのポケットから金色の名刺入れを取り出して、1枚名刺を差し出した。
「私は、こういう者です。・・確か、こちらに、小林純一さんが働いておられると思いますが・・いらっしゃいますか?」
ミホは、名刺を見た。名刺には、上総CS 顧問弁護士という肩書きがあった。
「今、配送に出ております。夕方までは戻りません。」
「そうですか・・・。」
男は、腕時計をチラリと見た。まだ夕刻までには時間がある。
ミホは、弁護士という肩書きを見て、もしかして自分の身元に関することなのではないかと考えた。
「あの・・どういったご用件でしょうか?」
その男は少し考えてから答える。
「・・いえ・・要件はお話できません。・・・また、夕刻に伺います。」
そう言うと、男は足早に事務所を出て行った。
ミホは気になって、すぐに男の後を追って事務所を出た。事務所の前には黒い大きな車が停まっていて、男は後部座席のドアを開けて、するりと滑り込んだ。そして、車は静かに走り去っていった。
「あの車・・確か・・・。」

ミホは、純一が戻るまでいろいろな事を考えた。
間違いなく、あの車は、以前にアパートの前に停まっていたものだ。スーパーマーケットでも待ち伏せしている様だった。それに、別荘で襲われそうになった時も同じような車だった。
きっと、あの弁護士は、自分と関係のあるものに違いない。要件を言わなかったのは、私が髪を切って様子が変わったからに違いない。
ここへ来て何を話そうというのか、自分を連れ戻しに来たに違いない。もう純一との幸せな暮らしが終わるという事なのか。
いろいろと頭に巡り、悶々とした気持ちのまま、仕事が手に着かなかった。

夕刻になり、純一は配送を終えて事務所に戻ってきた。
ミホはすぐに純一に来客があった事を知らせた。純一は名刺を受け取りしばらく見ていた。
「もしかして・・。」
「ああ・・おそらく・・・・。」
ミホの言葉に純一が反応した。
そこへ黒い車が入ってきた。ドアを開けて、件の弁護士と名乗る男が入ってくる。
「先ほど伺った、如月と申します。・・・小林さんは戻られましたか?」
「ああ、私ですが・・。」
純一が名乗り出ると、如月は暫く純一を再確認するようにじっと見た。
「どういったご用件ですか?」
純一は、ミホの件で来たのに違いないと考え、少し強い口調で訊いた。
「小林さんにお願いがありまして・・・我が社に関わる重大なことなのです。」
如月は、低い声で答えると、周囲の様子を伺う素振りを見せた。
「会社に関わる事?・・・あの・・ミホ・・いや・・そこにいる彼女の事では?」
純一の問い返しに、如月は何を問われているのか判らない顔をした。
「いや・・いいんです。」
純一は、先ほどの問いを打ち消すように言った。
「何だか、込み入った話のようですね。どうぞ、そこの会議室を使ってください。」
その様子を見ていた、奥さんが事務所の隣にある会議室を案内した。

会議室には、如月と純一、そして、社長と奥さん、ミホが続いて入った。

「申し訳ありませんが・・これは、小林さん個人のお話なので・・。」
と如月が、社長や奥さん、そしてミホの同席を拒もうとした。三人は顔を見合わせた。
「いえ・・社長も奥さんも親同然ですし・・ミホも妹のようなものですから、同席させていただきます。」
純一が言うと、しばらく、如月は考えた後で答えた。
「良いでしょう。・・・しかし、口外しない事をお約束下さい。」
了解を得て、社長と奥さん、ミホは、純一の後ろに椅子を置いて座った。
「お忙しいのに申し訳ありません。・・実は、私は、上総CSの顧問弁護士をしております。顧問弁護士ですが・・役員もしておりまして。今回伺ったのは、我が社の社長の遺言状に基づくものなのです。」


2-2 遺言状 [スパイラル第2部遺言]

2-2 遺言状
「遺言状?」
純一が訊きなおすと、如月が答える。
「4ヶ月ほど前、社長の上総氏が事故で亡くなりました。」
そこまで言うと、社長がポンと手を打って言った。
「そういえば、ニュースでやってたな。確か、ボート事故だとか・・しかし、自殺だったとも聞いたが・・。」
「ええ、そうです。社長は伊勢湾沖でボート火災で亡くなりました。病気を苦にした自殺だったと警察は結論を出しました。」
純一も、トラックのラジオニュースで聞いたのを思い出していた。
「それが私と何の関係があるのでしょう?」
「ええ・・それが、社長が亡くなった後、社長の私設弁護士が社に現れまして・・・遺言状を提示したのです。そこには、全ての経営権、財産を小林純一氏に相続させるとあったのです。」
「何かの間違いでしょう?・・私は、上総氏なんて一度もあった事も無い。どこか、違う人物の事でしょう。」
純一は余りに突飛な話しに信じられない表情を浮かべて言った。
「ええ・・私どものどういう関係なのかわからず苦慮しました。・・何しろ、我が社の総資産は一千億円以上です。ほとんどが社長名義ですから、遺言状があると言っても簡単に認めるわけにはいきません。」
「そりゃあ、そうだ。」
社長が変なところで突っ込みを入れた。
如月は少し不快な表情を浮かべて続ける。
「・・当初は、その遺言状の真偽のほどを調べました。何しろ、突然、私設弁護士と名乗る者が持ってきたものですから。しかし、確かに社長が残されたものに間違いありませんでした。」
如月は、上総CSの顧問弁護士である。通常なら、如月がすべき仕事なのだ。社長からの信用がなかった事を証明されたようなものだった。プライドが傷ついた事は、その口ぶりからも伺えた。

「でも、同姓同名の小林純一なんて、探せばいくらでもいるでしょう。きっと何かの間違いです。」
「いえ。遺言状には、あなたの名前だけではなく、住所や勤務先が細かく書かれていました。ここの会社の社長の名前も正しかった。それだけでは在りません。あ・・いや・・・。」
如月はそこまで言いかけて話を止めた。
「どうしたんです?」
「いや・・いずれにしても、あなたに間違いないんです。私どもとしても、財産目当てに、社長に取り入った輩ではないかとも考え、その後、あなたを調べさせていただきました。」
「調べた?」
「ええ」
それを聞いてミホが呟くように言った。
「アパートの前に居た車・・ひょっとして・・・。」
「お気付きでしたか・・・探偵社に依頼して身辺調査をしておりました。・・小林さんのバックに怪しい者は潜んでいないかとも思いまして・・念には念を入れて調べさせていただいたのです。しかし、気付かれるなんて・・・。」
「そんな・・・。ひょっとして、八ヶ岳の別荘でも?」
「八ヶ岳の別荘?いえ・・そのような報告は受けていませんが・・。」
「そうですか。」
「八ヶ岳で何かあったのですか?」
「いえ・・関係ないなら良いんです。」
純一は、自分が調査されていると聞き、不快感を露にしていた。

「申し訳ありませんでした。しかし、我が社の存続に係る重大な事なのです。ご容赦下さい。」
如月は頭を下げた。そして、
「調査の結果、あなたは清廉潔白な方だと判りました。社長と特別な関係で無い事も良く判りました。それで本日こうして伺った次第です。」

如月の話を聞きながら、純一は、ほっとしていたが、突然の話に至極困惑していた。
「それで・・・その遺言状に基づいて、私は・・その・・上総CSを引き継ぐ事になるというんですか?」
純一の問いに、如月は少し間を置いて答えた。
「ええ・・遺言状に基づき、全てを相続していただく事になります。」
「そんな馬鹿な・・何も知らない赤の他人がどうしてそんな事になるんです。」
「遺言状にそう書かれているのです。・・法的にも有効なのです。」
如月弁護士は少し事務的に答える。
「・・そうだ、相続権を放棄します。そうすれば良いでしょう?」
「確かに、法的にはそういう選択肢もあります。相続権放棄の書類を作成していただければ有効でしょう。」
「じゃあ、そうします。その為に来られたんですね?」
「いえ・・違います。・・私どもとしては、あなたに相続していただき、我が社の経営をお願いしたいのです。」
「そんな無理ですよ。・・私はトラック運転手です。会社の経営なんて出来るわけが無い。それにそうする恩義も無い。どうして自分の生き方を勝手に作られた遺言状一枚で狂わされなきゃいけないんです。・・もう帰ってください。・・相続権放棄の書類だけいただければ、すぐに署名します。それで終わりです。さあ、帰ってください。」
純一は立ち上がり、如月にぶちまけるように言った。
「いえ・・是非ともあなたには我が社においでいただきます。そうしないと、我が社の社員も路頭に迷う事になる。今のままでは立ち行かなくなるんです。どうかお願いします。」
如月も引かなかった。
二人は睨みあったままとなった。
後ろで聞いていた奥さん、ミホもどうしてよいか判らずにいた。


2-3 上総会長 [スパイラル第2部遺言]

2-3 上総会長
社長がふと如月が机の上に広げた、上総CSのパンフレットを手に取った。そして、暫くじっと見入ってから口を開いた。
「弁護士さん・・・このパンフレットにある上総敬一郎ってのが・・会長さんかい?」
「何、こんなときに。」
奥さんが社長の顔を見て、咎めるような視線を送った。
「ほら、お前、これを見ろよ。」
社長は奥さんに開いたパンフレットの1箇所を指さした。そこには、「故 上総敬一郎 会長」の名が写真入りで掲載されていた。奥さんはそれを見て「あら・・敬一郎さん?」とだけ言った。
「ええ、上総敬一郎氏は会長でした。上総CSの前身である、上総総業を起こした方です。・・社長の父です。それが何か?」
社長はそれを聞いて頷いた。
「そうか・・・そういうことか・・・・純一、お前は弁護士さんの言うとおり、上総CSへ行くべきだ。いや・・いかなきゃならん。」
社長の言葉に、奥さんも続けた。
「ええ。純一さん、これはきっと運命なのよ。」
奥さんはうっすらと涙を浮かべている。

純一も如月も要領を得ない表情を浮かべている。
その様子を見て、社長が少し頭を整理するようにして話し始めた。
「純一、お前がここへ来たのは、この敬一郎さんの紹介なんだよ。」
そう切り出してから敬一郎と純一との関係を説明し始めた。

純一は幼くして母を亡くし、児童養護施設に入れられた。中学を卒業すると、皆、就職しなければならなかった。不景気で、中学卒業ではなかなか働き口など無かった。その時、その口を聞いてくれたのが、上総敬一郎だったのだ。
上総敬一郎はこの臨海地区で「上総総業」という商社を起こし、時代に乗って会社は大きくなったが、妻が病気がちで子宝に恵まれなかった。そこで上総敬一郎は、児童養護施設から養子を迎えることにして、何度か足を運んでは、養子を迎える事が出来た。
その縁で、以降、その養護施設を旅立つ子どもの就職先を世話していたのだ。
その中の一人が、純一であった。

奥さんが言う。
「それだけじゃないのよ。・・・純一さんの高校と大学の学費も、敬一郎さんが出してくださったのよ。」
「いや、それだけじゃない。・・この会社も一時傾き掛けた時があった。そんな時、上総総業から何度か仕事も回してもらったんだよ。随分、世話になったんだ。」
社長も思い出すように言った。
「しかし・・どうしてそこまで?」
純一が不思議に思った。同じような境遇に居たのは自分だけじゃない。
「それは判らないわ。だが、敬一郎さんは、何かあなたに思い入れはあったみたい。ここへ顔を出されるたびに、あなたの様子を気にしておられたから・・・。」
奥さんが答えた。
「では、我が社へお越しいただけますね?」
間髪居れず、如月が純一に迫った。純一はまだ躊躇っている。
「いや・・・恩返ししなくちゃとは思いますが・・・。」
その様子に、如月が切り出した。
「ミホさんの事ですね?」
純一は驚いた。
「ミホさんの抱えておられる事情は承知しています。・・探偵から報告を受けました。私も、病院に行き確かめてきました。・・一緒においでいただいて構いません。」
「しかし・・・。」
純一は、ミホの身元が判らない事が問題なのではなく、自分さえも不安な場所にミホを連れて行くことを躊躇っていたのだった。
「では、こういう条件では如何ですか?・・ミホさんは今現在、身元が判明していません。もちろん、戸籍も住民票もありませんよね。・・それを私が用意しましょう。」
「そんな・・無茶な事を。」
純一が反応した。如月が続ける。
「私は会社の顧問弁護士です。単に法を守る番人ではありません。企業の利益の為に、如何に法の抜け道を探すかも求められるのです。戸籍を手に入れる事等、容易い事です。如何ですか?」
「・・そんな違法な事で・・戸籍を作るなんて・・・。」
純一が言うと、
「では、このまま、ミホさんに戸籍が無いままです。もちろん、ある程度時間が経てば、仮戸籍の申請も出来るでしょう。しかし、あくまで仮戸籍です。様々な制約もある。・・大丈夫です。違法なものじゃ在りません。堂々と生きていけるものです。私にお任せ下さい。」
「一体どうやって?」
ミホが訊いた。
「いや・・方法は知らないほうが良いでしょう。・・それより、新しい人生を送れるチャンスなのです。小林さんにとっても、ミホさんと夫婦になれるわけです。如何でしょう?」
純一もミホも、如月の発した「夫婦」という言葉に、鼓動が高まり、顔を見合わせた。
それは、二人の願いでもあったが叶わぬ事だと諦めていた事でもあったからだ。
交わす視線で、純一とミホは覚悟を決めた。
「判りました。・・・行きましょう。」
ミホもこくりと頷いた。
「では・・1週間後にお迎えに参ります。・・社長の邸宅を使っていただければ結構ですから、荷物も対して必要ないでしょう。・・その間に、戸籍を手配しましょう。・・ああ、そうだ。ミホさんの件は、秘密にしておきましょう。他の役員に変に勘ぐられると厄介ですから。」
如月はそう言うと用件は済んだとばかり、さっさと引き上げていった。

2-4 上総CS [スパイラル第2部遺言]

2-4 上総CS
純一は、1週間の間に、仕事の引継ぎとか、卸団地の会社へも挨拶して、事情を説明して回った。
「また、すぐに戻ってきますから。」
そういう挨拶をどれほどしただろうか。しかし、この先、どうなるのか見当もつかなかった。
荷造りなどほとんどしなかった。
「社長、必ず戻ってきますから、アパートはそのままにしてもらっていいですか?」
「ああ、構わんよ。お前は息子同様だ。息子が実家に戻ってくるのに遠慮などしないだろ。あの部屋はそのまま残しておくさ。」

1週間後、約束どおり如月はやって来た。
「では、参りましょうか?」
純一もミホもボストンバッグを一つずつ持っている。中身は、着替えや身の回り物の必要な物だけだった。社長と奥さんに挨拶すると、如月の黒い車に乗り込む。
静かに車は走り出した。会社を出ると、高速道路のインターチェンジ方向には向かわず、港へ向かった。
「一体、どこへ?」
純一が訊くと、助手席に座っていた如月は、振り向いて言った。
「マリーナへ行きます。社長の邸宅は、沖の島にあるのです。周囲4キロほどの小島ですが、すべてのものが揃っています。マリーナからクルーザーで向かいます。」

マリーナに着くと、一際大きな白いクルーザーが停泊していた。
「さあ、どうぞ。」
如月が二人を船に案内した。車の運転手が先に船に向かって桟橋の準備をした。
「社長が使われていたものです。いずれは、この船も小林さんの物になります。」
二人は案内されるままに船に乗り込んだ。船室1階のラウンジは豪華なソファーが置かれていた。窓の外に海原が見える他は、豪邸のリビングルームにいるような感覚だった。
冬の海は少し波立っていたが、さすがにこれほどのクルーザーは安定して海原を走っていく。
操縦席には先ほどの運転手が座っているようだった。
船が走り出すと、純一とミホは暫くぼんやりと外を眺めていた。
「まるで、何か、人質にでもなったようね・・。」
ミホは自分たちが置かれている状況をこんなふうに揶揄した。
「本当だな。・・・逃げたくても逃げられない。・・この先どうなるのか、どんなところに連れて行かれるのやら・・・。なんだか、ミホを厄介な事に巻き込んでしまって・・・。」
「そんな・・・元々、私だって、純一さんには厄介なことだったでしょ?でも、どうなるのかしら?」
「まあ、命を取られるような事はないだろうから・・・。」
二人は豪華なソファーに身を委ね、船の揺れに次第にウトウトとし始めていた。

1時間ほど経った頃だったろうか、如月がラウンジに入ってきた。
「お寛ぎのところ申し訳ありません。島へ着いたらすぐに、重役連中にあっていただくことになりますから、少し打ち合わせをさせていただきたいのですが・・。」
二人ははっと目覚めた。

如月は、役員名簿を広げて、会社のおおよその様子を説明した。
上総CSの総資産は1000億円を超えていた。主要な事業は、コンピューティング部門とマリン事業部門だった。
「コンピューティング部門は、社長自らが手がけて育てられたもので、我社の利益はほとんどこの部門でした。マリン事業部は、赤字部門です。先代の社長・・会長が趣味的に起こされた事業でした。もともとは、海外との取引仲介の商社部門でしたが、今はありません。」
「コンピューティング部門とは?」
純一は少し興味を持って訊いた。
「ええ・・・ハード部門は大したことはありませんでした。大手企業には勝てません。むしろ、独自のシステム開発とか、特殊な技術開発による特許取得が大きい収益を上げていました。開発はほとんど社長自らやっておられました。・・島は、その研究所として作られたものなのです。セキュリティも万全ですからね。会社自体は、名古屋にあります。社長はほとんど島におられて、ネットで名古屋と繋がっていました。」
「研究所?」
「ええ、邸宅と研究所、それに、役員が集まるための宿泊施設・・まあ、小さなコテージのようなものが何軒かあります。」
如月はそう言いながら、島の写真を何枚か広げた。
島の中央あたりに、森を切り拓いたような場所があり、中央に家が1軒、そして、それを取り囲むように広い芝生が広がり、周囲に4軒ほどのログハウス風のコテージがあった。
島の周囲は高い崖に囲まれているようだった。船着場は北側に設えられていたが、小型の船が付ける程度のものだった。
「電力とかは?」
「自家発電装置があります。太陽光や風力、潮力発電が主要なものです。水は地下水。食料などは、このクルーザーで運んだり、ヘリでの輸送もしていました。」
「随分、お金の掛かる仕掛けですね。」
純一は、想像もつかない贅沢な暮らしを想像して呆れるような表情で言った。
「いえ・・・それだけ、社長の研究技術は先進的であり革新的だったのです。ほとんどの業界他社が注目していましたし、盗んででも手に入れようと画策する輩も多かったのです。セキュリティのためのコストであり、研究に専念できる環境のためですから、必要なコストだと考えていました。」
「では、社長が亡くなったのは最大の損失・・・上総CSの存続さえ危ういのではないですか?」
純一の問いに、如月は深刻な表情を浮かべた。
「全くその通りです。今や、我社の未来は閉ざされたと同然。なんとか、社の存続のために東奔西走していたところでした。その最中に、遺言状が現れました。・・・役員の中には、救世主かもしれないと期待している者もおりました。」
「救世主?」
「ええ・・何か、社長から託されているのではないかと期待しているのです。」
「そんな・・僕は何も・・・。」
「判っております。・・・ですが、ひとつだけ期待していることがあるのです。」
「それは?」
「詳しくは島でお話します。・・・それよりも、役員の中には頭からあなたの存在を否定している者もいます。社長とは関係ない、相続を放棄するなどと口走れば、その役員の思う壺。あなたを追い出し、社を我がものとするために動き始めます。」

2-5 役員一同 [スパイラル第2部遺言]

2-5 役員一同
純一は、遺産相続では必ずそうした金に絡む厄介な人間関係が待っているとは覚悟していたが、如月の話を聞き、うんざりした気持ちになっていた。そして、再び、なぜ自分がこんな目に遭うのかと嘆いた。しかし、今更逃げ出すわけにも行かない。
「誰がその役員なのですか?」
純一が問う。如月は少し悩んだ表情を浮かべた。
「いえ・・私の口からお話することはできません。・・私も役員の一人なのです。それは、あなたご自身で見極めていただく必要があります。」
「あなたも信用できないということでしょうか?」
純一が訊くと、如月は真顔になって言った。
「それもあなたご自身で判断してください。・・私はあくまで顧問弁護士の役割から、あなたを島へ連れて行くことをほかの役員から託されたのです。ただ・・私は、上総CSの存続を願っております。それだけは信用していただけるはずですが・・・。」
純一は、如月という人間が味方なのか敵なのか、よく判らなくなっていた。

「ああ、そうだ。これがミホさんの戸籍です。どうぞ。」
如月は封筒を一つ取り出して、渡した。
中を取り出すと、1通の戸籍抄本が入っていた。
「これは・・・」
そこに、小林純一の戸籍に、妻ミホと記載されていたのだった。入籍日は、純一がミホを海岸で見つけた日付だった。
「どうやったのかは訊かない約束ですよね。・・・役員に紹介するとしても、妻の方が問題がないと判断しました。それと、一応、ミホさんの経歴も作成しておきました。」
如月はもう1通の封筒を手渡した。そこには、出生地や生年月日、高校・大学の卒業記録も記載されていた。それによれば、ミホは30歳となっている。
「ミホの経歴なんて・・・これは・・・。」
「いえ、大丈夫です。私の調査記録から、きっと間違いないはずです。ミホさんが失った記憶に間違いありません。」
「そんな・・警察さえも手を拱いているのに・・。」
純一は、あまりに如月が自信満々に言った言葉を拒絶するように言い返した。
「警察の力など信用しないほうが良い。だいたい、あの・・・古畑とかいう刑事一人が片手間に調べている範囲です。結局、真剣に捜査するつもりなどないのですから・・。私どもの・・いえ、社長の開発したシステムの一部を使えば、世の中のことは大抵把握できるのですよ。」
「そんな・・・。」
じっと話を聞いていたミホが漏らすように言った。
「ミホさんは、かなりの才女でした。乗馬だけでなく、あらゆるスポーツができ、五カ国語を操り、世界中を飛び回るようなお仕事をされていたようです。」
如月が言うと、純一が言った。
「そんな女性が、しがないトラック運転手の妻になった・・って変でしょう?」
「ええ・・・ですが、それは良いじゃないですか。色恋の世界は想像もつかない事がありますよ。・・瀕死の重傷を負ったところを助けたことが縁となったとでもしておきましょう。」
如月が言うと、純一はあながち嘘ではないことでもあり、少し納得してしまった。
「ミホさん、役員連中に何か尋ねられても良いように、経歴を頭に入れておいてください。大丈夫です。役員たちは、それほどあなたには近づかないでしょうから・・。」
如月は何かそれが当然だと言わんばかりの自信のある言い方をした。
「もうすぐ到着します。」
操縦席からラウンジにマイクの声が飛び込んできた。

島の北側は、周囲が高い断崖に囲まれていて、その真ん中辺りに船着場が見えた。
桟橋に着くと、すぐに如月は二人を案内した。桟橋から断崖に向かって舗道が伸びている。その先に、小さなドアがあり、その中に小さなケーブルカーがあった。
純一とミホ、如月が乗り込むと静かにケーブルカーは登っていく。着いた先は、林の中だった。石畳の道を進むと林が開け、見事な芝生が広がった。その先に、ログハウスが建っている。
「あれが、社長の邸宅です。」
如月は先を急ぐ。芝生の広がった庭園のはずれに、一回り小さなログハウスが4軒ほど点在するように建っていた。クルーザーの中で如月が説明していた、ゲストハウスなのだろう。
社長の邸宅というログハウスの玄関を開けて、中に入る。大きな吹き抜けの玄関だった。
「さあ、どうぞ。」
如月に案内され、内ドアを開くと、広いリビングルームだった。ソファーが何客か置かれていて、南の窓際に二人、暖炉の傍に二人、それぞれ夫婦らしい人物が座っていた。そして、キッチンの近くのテーブルにはかなり年配の男性が書類を広げて座っていた。
純一とミホがリビングに入ると、一斉に厳しい視線が飛んできた。
「小林さんをお連れしました。」
如月の言葉に、それぞれが中央の大きなテーブルに集まってきた。歓迎されているとは思えない空気を純一もミホも感じていた。誰も挨拶しようとはせず、じっと二人の動静を注視している様子だった。
「さあ、どうぞ。」
大きなテーブルの片面の中央に、純一が座り、左側にミホ、右側に如月が座った。対面側に、二組の夫婦、そして、その間に年配の男が座った。
「では、遺言状に基づき、相続の協議をさせていただきます。」
年配の男は、亡き社長の私設弁護士だった。
弁護士は静かに小さな箱を開け、中から、封筒に入った遺言状を取り出した。
「読み上げましょうか?」
弁護士が周囲を見ながら言うと、太った初老の男が言った。
「もう良い。何度も聞いた中身だ。・・それより、その男が本当に小林純一か確認しろ。」
ぶっきらぼうな物言いだった。如月はポケットから書類を取り出した。
「間違いありません。これが戸籍抄本と運転免許証のコピーです。」
書類を弁護士に手渡した。弁護士は、じっくりと記載事項を確認した。
「まちがいありません。この方が、遺言状にある、遺産相続人と認めます。」
弁護士の言葉に、皆は落胆したような溜息を漏らした。

2-6 遺言状の内容 [スパイラル第2部遺言]

2-6 遺言状の内容
「すみません。・・皆さんをご紹介いただけませんか?」
純一は、如月に言った。
「そうですね。正式に相続人に認められたのですから・・・ええと、では。」
そう言って如月は立ち上がり、紹介した。
「こちらが、上総敬一郎会長の弟の、上総敬二郎様です。取締役です。」
先ほどぶっきらぼうな口調を発した男だった。太っていて禿げ上がっている。やたら眉毛が濃いのが印象的だった。
「そして、奥様の里美様。文化事業部の部長兼務の取締役です。」
髪を結い上げ、つり上がった目でちらりと純一を睨む。
「それから、こちらが伊藤守彦様。マリン事業部長で取締役です。」
紹介されると、年のころは40歳半ばか、細身で少し顎がしゃくれた顔に満面の笑みをたたえて、男は立ち上がり、右手を差し出した。
「よろしくお願いします。・・・これで我が社も安泰です。」
どうやら、営業マンだったようだった。顧客に見せる作り笑顔だと純一はすぐに判った。あまり成績は良くないだろう。
それを見ていた女性が立ち上がって、握手しようとした男の右手を叩いた。
「もう・・・なんであなたはそうなの?」
何か咎めるような視線で男を見た。
「ああ、こちらは、伊藤様の奥様で、敬子様です。・・敬二郎様のお嬢様で、一応、取締役をされておられます。」
「一応とは何よ、失礼しちゃうわ。・・・それより、その女、何者?」
全く礼儀をわきまえない言い方で、ミホへ視線を向けた。
「ああ、こちらは、小林さんの奥様で、ミホ様です。」
それまで、少し俯きがちに座っていたミホは、如月に紹介されて立ち上がり頭を下げた。
「ミホです。よろしくお願いします。」
そして、ゆっくりと顔を上げて皆を見た。その瞬間、4人とも凍りついたような表情を見せた。如月は一瞬、にやりとしたような表情を見せた。その様子に、純一は不審を抱き、訊いた。
「あの・・ミホが何か?」
純一の問いに、皆、顔を見合わせ、何か首を小さく横に振ったと思うと、敬子が口を開いた。
「いえ・・なんでもないわ。・・まあ・・・思ったより美人なんで、ちょっと驚いたのよ。」
何か空々しい言い方をして、椅子に座って横を向いた。

「おい、如月、このあと、どうするんだ?」
敬二郎が再びぶっきらぼうな口調で聞いた。如月と呼び捨てにするのは、以前、如月が部下であった事を示していた。
「はい。正式な手続きは明日と言う事にしましょう。小林さんもこちらに来られたばかりでお疲れでしょうから。」
「あの・・上総CSの役員はここにいらっしゃる5人だけでしょうか?」
皆、少し困ったような顔をした。如月が咄嗟に答える。
「もう一人、本社に副社長がいらっしゃいます。今日は、業務の都合でこちらには来られませんでした。」
それを聞いて、敬二郎がふんぞり返ったままで言い放った。
「ふん・・あんな奴、居ても居なくても一緒だろ。どうせ、社長の機嫌をとって副社長になっただけなんだ。ほとんど社長のスピーカーの態だったじゃないか。」
「ほんとに・・。」
呼応するように、妻の里美も言った。すると、伊藤部長が取り繕うように言った。
「そんな・・・本社を纏められるのは副社長の人望でしょう。」
それを聞いて、妻の敬子がたしなめるように言う。
「あなた、いつまでそうなのよ。・・もう部下じゃないんだから。」
どうやら、上総CSの中でもここに居る役員とは違う立場のようだった。
「副社長は、山下修一氏です。コンピューター部門を立ち上げる時から社長の下で働いておられました。実は、今日は資金繰りのために奔走されているのです。真面目な方です。」
それを聞いて、反応したのは敬二郎だった。
「何だ、如月!ここに居るのは不真面目だっていうのか?・・だいたい、お前が召集したんだろうが!」
敬二郎の言葉に如月は一瞬、イラついたような表情を浮かべたが、聞き流した。
「では、社長を入れて7人の役員なのですね?」
「ええ、そうです。大抵は、ここで役員会を開いておりました。ほとんど、重要な事は社長からの提案でしたが・・・。」
亡き上総英一のワンマン会社であることは明らかだった。そして、親族である事だけで役員待遇を受けている者が集まっているだけで、如月と副社長とが実務上の切り盛りをしているのだろうと純一は理解した。叔父一家が上総CSを食い物にしているのかもしれないとも感じていた。

「正式な手続きは明日にって言ってもさ・・・。」
不意に、敬子が口を開いた。
「どうせ、書類を作成するだけなんでしょ?・・それより、小林さん、本当に遺言書の通り、相続する覚悟はあるの?」
少し意味深な訊き方をした。
純一は少し返答に困った。如月からは相続放棄など口にしないようにと言われていたが、未だに割り切れない気持ちだったのだ。何も判らない男が大きな会社の経営権を引き継ぐ等、到底考えられない事なのだ。
「そうだ・・相続権を放棄すれば楽になるぞ!」
敬二郎も言った。如月がその会話を制止するように言った。
「それは困ります。皆さんもご存知でしょう?・・・今は小林さんに期待するしかないんです。」
それを聞いて、敬二郎達は溜息をついた。
一体、何の事なのか、純一には全く理解できなかった。自分に何が出来ると考えているのだろうか。

「そうね。・・じゃあ、明日、正式な手続きの前に、例の事を済ませておきましょうよ。」
敬子が立ち上がった。如月は、少し躊躇いがちに立ち上がった。
「判りました。では・・小林さん、こちらへお願いします。」
如月はリビングの隣にある一対の白いドアに、純一とミホを案内した。

2-7 上総社長の家 [スパイラル第2部遺言]

2-7 上総社長の家
20畳以上あろうと思われるリビングの玄関とは反対側の壁に、白いドアのようなものがあった。というのも、ドアの形状だがドアノブがない。エレベーターのドアのようにも見える。
「さあ、こちらへ。」
如月に促されるまま、純一はドアの前に立った。ミホも隣で様子を伺った。
ドアの右側の壁がぼんやりとオレンジ色に光った。その光は手形のように見えた。
「ここはラボへの入口なのです。さあ、手を翳してください。」
如月の言うまま、純一がその光に手を翳すと、オレンジの光が徐々にブルーに変化する。その様子を固唾を飲んで見ていた敬二郎たちが、「おお」と声を上げた。同時に、白いドアが音もなく開いた。
やはり、エレバーターの入口だった。
「やはり・・・。」
如月が小さく呟いた。そして、敬二郎たちの方に体を向けると、「どうですか?」と訊いた。
「判った。認めよう。・・小林さん、あんたは正式な後継者だ。我社をどうか救ってくれ。」
敬二郎が立ち上がって皆の気持ちを代弁するように言った。純一は、急に、親族一同の態度が変わったように感じていた。
「どういうことです?」
如月に尋ねると、如月は要点をまとめるように答えた。
「社長は亡くなる直前に、新たなコンピューターシステム開発に成功されたのです。その技術があれば、我社には莫大な利益がもたらされるはずです。しかし、ラボへの出入り口は厳重なセキュリティが入っていて、ここにいる者は誰も入れなかったのです。・・小林さんが相続人と指名されていたので、おそらくラボへも出入りできるのではないかと考えていたのです。見事、期待に応えてくれました。」
「それで、この後どうすれば?・・ドアが開けば用はないとでも・・・。」
「いえ・・おそらく、ラボに入るにはいくつかのセキュリティがあるはずです。とにかく、ラボへ行って、社長が開発したはずのシステムを見つけていただきたいのです。それさえあれば、上総CSは安泰です。」
純一にはようやくすべてが飲み込めた。
「では、行きましょう。」
純一はミホの手を握ってエレベーターに乗り込んだ。
続いて、如月も乗り込もうとしたところ、けたたましい警告音が響き、威嚇のための白いガスが如月めがけて噴射した。驚いて、如月がドアの外へ出ると、ドアは閉じてしまった。

エレベーターの中には、ボタン類はなかった。
ドアが閉じると、静かに下っていき、ほんの10秒ほどで停止した。
ゆっくりとドアが開くと、その先には長い通路があった。二人がいる周囲だけ、ライトが点いているが、その先は暗闇だった。純一はミホの手を握り、通路を進む。順番にライトが足元を照らしてくれる。
どれくらい歩いたか判らないが、しばらくするとまた白いドアがあった。先ほどと同様に、ドアの脇のオレンジの光に手を翳すと、ドアが開いた。
二人は息を飲んだ。
ドアの前には海が見えた。外に出たのではない。大きなガラス状のドームで覆われた空間だった。目の前に砂浜が広がり、穏やかな海、しかし、その前方は高い崖がぐるりと取り囲み、わずか一箇所だけが外海と通じている。外界から隔離された内湾のプライベートビーチといったところだろう。
「ここが社長のラボなのか?」
あまりの想像を超えた空間に、純一には、これが現実のものとは思えなかった。
しばらく、ドームの中央に立ち竦んでぼんやりと様子を眺めていた。

ミホは、この島に来てから随分静かだった。役員を前にして挨拶をした程度で、ずっと純一の傍を離れず、何かに怯えているようでもあった。
純一は、ようやく周囲の状況にも慣れたようで、傍にいたミホに声をかけた。
「何だか・・随分、別世界に来たようだな。」
そう言って、ミホを見ると様子がおかしい。
「どうした?体の調子が悪いのか?」
「ええ・・・何だか、頭がぼんやりとしていて・・・。」
「疲れたんだろう。」
純一がそう言って、どこか休めるところはないかと部屋の中を見渡していると、静かに床が開いて、真っ赤なソファーがゆっくりとせり上がってきた。
「ソファーに座ろう。」
大きめのゆったりしたソファーに、ミホは体を横たえるように座った。
「何か飲み物はないかな?」
純一の言葉に呼応するかのように、今度は部屋の奥の仕切りのような壁がゆっくり開き、キッチンが現れる。純一は冷蔵庫を見つけ、飲み物を持ってきた。
最初は、何一つなかったドームの中に、いくつもの仕掛けが現れ、次第に一つの大きなリビングルームのようになっていく。純一もミホもその仕掛けに驚きながら、徐々に慣れていった。

「上総社長は、ここでどんな研究をしていたんだろう・・。」
純一は美穂が少し落ち着いた様子を確認して、部屋の中を物色し始めた。しかし、それらしきものが見当たらない。広いドームの中をひと回りして、諦めるように再びソファーに座った。
すると、ソファーの前の床が開いて、ゆっくりと大型の液晶モニターが目の前に現れる。同時に、ソファーの前の小さなテーブルからも、10インチほどのパームトップPCが現れた。画面がオレンジ色に光った。純一がそっと手を触れると、画面がブルーに変わり、目の前の大型液晶も反応するように起動して、いくつもの映像を映し出した。どうやら、手元の小さなPCがコントローラーになっているようだった。そして、大型液晶画面に映し出されているのは、邸宅のリビングだった。他にも、どこかの部屋の中が映っている。
「これは、監視カメラの映像だ・・・。」
リビングの映像には、先ほどの面々が思い思いに座っている様子が鮮明に見える。その映像にタッチすると、スピーカーから話し声も聞こえてきた。
「こんなふうに、人を監視していたのか・・・・。」
純一は手元のコントローラーを操作しながら、映像を見ていた。そして、亡くなった上総社長は、周囲の人間に対して異常なほどの猜疑心を抱いていたに違いないと考えていた。何か虚しさを感じながら、純一は映像をアップにしたり、角度を変えたりしながら、リビングの様子を見つめた。

2-8 秘密の部屋 [スパイラル第2部遺言]

2-8 秘密の部屋
「如月!大丈夫なんだろうな!」
敬二郎が強い口調で問いただす様子が見えた。如月は、片手を上げて軽く受け流すように何か言ったが聞き取れなかった。すると、敬二郎が妻の里見と顔を近づけてひそひそ話をし始めた。そこへ、娘もやってきて話に加わったようだった。夫である伊藤守彦はそこへは加わらず、一人、窓の外を眺めている。如月は、年配の弁護士と何か小声で話をしている。時々、年配の弁護士が謝罪するように頭を下げている。
映像は、先ほど乗り込んだエレベーターのあたりから撮られているようだった。皆、時々、カメラの方へ視線を向けるので、そう想像できた。
「社長の開発した新システムを待っているんだな。・・・しかし、一体どういうものだろう・・・。」
純一がそう呟くと、手元のコントローラーの画面が切り替わった。
画面には「メビウス」の文字がオレンジ色に浮かんでいる。横にいるミホに見せようと、ミホを見ると、いつの間にか眠っている。
純一はそっと画面に触れてみた。数秒間は何も起きなかった。「なんだ・・単なる表示か・・」と思ったところで、座っていたソファーの後ろに球状の物体が現れた。
球体の上部カバーがゆっくりと開いた。中には、シートがあった。ミホをソファーに残して、純一はそのしーとに移った。ゆっくりとカバーが閉まり暗闇となった。少しの間、暗闇の中にいたが、すぐに灯が点いた。そこには、ぐるりと囲む形で大型のスクリーンがあり、前方に、ぼんやりと赤く光る球形の物体が置かれている。その球形の物体の光は、人間は呼吸するように明るさを変える。
「よく来てくれた。」
どこから聞こえるのかわからない、狭い空間の中で男の低い声がした。
「君がここに来たということは、私はすでに死んでいるということになる。」
声の主は、亡くなった上総英一だった。
「君は多くの疑問を抱えているだろう。なぜ、自分が上総CSの相続人に指名されたのか。これからどうすれば良いのか。そして、私の開発した新システムとは何か。如月やほかの役員は信用できるのか。・・・すべてに答えるべきなのだろうが、それでは、君にここへ来てもらった意味がない。」
純一は、録音されたものが再生されたのだと思っていた。だからこそ、何も答えなかった。
すると、スクリーンの前面に男の顔が現れた。
「私が上総英一だ。・・・どうした?・・ああ、これは録画だと思っているのだな。違うのだ。これは録画ではない。その証拠に・・ソファーで眠っている女性。確か、彼女の名はミホと言ったようだな。・・・浜辺で見つけたのだろう?」
純一は驚いた。
「録画でないなら一体なんなのですか?」
その問に、スクリーンの英一がニヤリと笑ってみせた。
「これこそが、私の開発したメビウスなのだ。人工知能とでも言おうか・・いや、それをも超えている、
新たな命というべきものだ。」
「人工知能?・・・命?」
純一は想像できなかった。
「君の目の前にある球形の物体のことだ。・・これまでのコンピューターとは全く違う次元の代物だ。人間の脳に近い。ありとあらゆる情報を吸収していく。そして、意志を持っている。私は、10年もの歳月をかけてメビウスを作り出し、私の情報を全てインプットした。今、メビウスは私そのものとなっているのだ。」
「そんなモノができるのですか?」
「ああ、現実にここにある。これがあれば、肉体が滅んでも精神を残すことができる。私は生きていた時と同様に、考えることができる。永遠の命を得たのと同じだ。」
まさにSFの世界だった。しかし、純一はきちんと受け止めた。いや、それ以上に強く興味を見せたのだった。自らもコンピューターを組立て、プログラムを作り、動かすことが秘密にしてきた生きがいでもあった。目の前にはそれを超える素晴らしい発明がある。原理を知りたかった。
「一体どうゆう構造なのですか?」
「いや・・それはまだ教えられない。・・君が私の願いを叶えてくれれば教える。」
「あなたの願いとは?」
スクリーンの英一は少し考えている表情になった。
「私はすでに死んでいるんだな。」
「ええ、ボート事故で亡くなったと如月さんに聞きました。病気を苦にした自殺だったとも。」
「馬鹿な!これほどの発明をしているのだ。資産だって到底使い切れぬほどある。なぜ自殺せねばならないのだ。・・・殺されたのだ、きっと。」
「殺された?」
「ああ、きっと上にいる奴らに殺されたはずだ。私の願いの一つ目は、私の死の真相を解明してもらいたいということだ。」
「判りました。・・・・私から一つ訊いても良いですか?」
「なんだ?」
「どうして、私が相続人に選ばれたのでしょう?」
「純一こそが、上総CSを全て受け継ぐべき人物だったからだ。」
「しかし・・・私はあなたを知らない。上総CSとは無関係です。なぜ受け継ぐべき人物なのですか?」
そこまで言うと、急にアラーム音が鳴り始めた。
「何が起きたんですか?」
「これがメビウスの欠陥なのだ。大量の電力を必要とする。そして、大量の熱を発する。・・君にはこの欠陥を修正してもらいたい。それが二つ目の願いだ。・・。」
スクリーンの英一はそう言うとふっと消えた。
「再起動まで12時間が必要です。」
無機質なアナウンスが流れ、上部のカバーが開いた。純一はシートから立ち上がり、メビウスの構造を知りたくて、周囲をぐるりと回ってみた。硬質な素材、床との設置面から下にエナジボックスが置かれているようだった。しばらくするとメビウスの上部が閉まり、再び床下へ隠れてしまった。
「ふう・・」
純一は溜息をついてソファーに座った。今、見たこと、聞いたことは現実のものなのか、しばらくぼんやりしていると、ミホが目覚めた。
「ごめんなさい・・眠ってしまったみたいね。」
「ああ・・どうだ?少しは良くなったか。」
「ええ・・もうすっかり。」
「そうか・・・なら、上に戻ろう。」
そう言って、純一はソファーから立ち上がった。ミホも純一に続いて、リビングへ戻るエレベーターに乗った。

2-9 英一の遺産 [スパイラル第2部遺言]

2-9英一の遺産
リビングに戻ると、一同が待ち構えていた。
「社長の開発したものは見つかりましたか?」
如月が問う。純一は少し躊躇いがちに言った。
「ええ・・・それらしきものは・・・・・しかし、まだ未完成でした。」
純一の答えに皆は落胆した様子だった。
「どうするんだ!如月!」
敬二郎が如月に食ってかかる。如月も戸惑いを隠せなかった。
「使い物にならないんなら、意味がない。これで上総CSも終わりだぞ。」
さらに敬二郎が如月に迫る。
「もう少しお時間をいただけませんか。きっと皆さんが期待しているものを提示できると思います。」
純一は冷静に言った。その言葉に、娘の敬子が立ち上がって言った。
「本当なの?」
純一に訊いているようだった。
「ひと月ほど時間があれば・・・。」
「パパ、大丈夫よ。だから、社長はこの人に相続させたんだって・・。自分で出来ないまま、死んじゃったから悔いが残ってたんだわ・・・。きっとそうよ。」
敬子はなんだか訳のわからない理屈を並べ、自分で勝手に納得している。
「そうよ、きっと自分ではどうにも完成させられないから、この人に頼んだのよ。そして、自分の才能のなさに気付いて自殺したのよ。・・昔から、陰気な性格だったし・・変人だったからね。」
妻の里美も、娘の言った言葉に乗っかるように言った。
どうやら、この3人は、英一は自殺したものだと思い込んでいるようだった。とすると、英一の死には関係していないということになる。
「どれくらいで発表できる?」
敬二郎が純一に訊く。
「それは何とも・・・さっき初めて見たわけですから・・・。」
純一のはっきりしない答えに、今度は如月が訊いた。
「一体、どういうものなのです。・・概要だけでも判れば・・・そう、あなたも相続して新社長になるわけですから、我社の経営に責任がある。・・今、新技術の開発を発表すれば、当面は我が社は安泰なのです。概要だけでも発表しましょう。」
それを聞いていた、敬子の夫、伊藤守彦も口を開いた。
「新社長就任と新技術開発のニュースを発表しましょう。段取りは、私がやりましょう。ハーバーの大型クルーザーを使って盛大なパーティを開きましょう。我がマリン事業部の宣伝にもなる。そうしましょう。」
そこまで聞いて純一が言った。
「いや・・・新技術の発表はまだできません。もう少し確信を得てからにします。それと、新社長就任もやめてください。私が相続し、経営権を持つことになるのでしたら、役員体制も見直したい。本社の・・山下副社長ともお話したい。1週間ほど待ってください。」
純一の言葉に、皆、驚いた。「役員体制の見直し」とは、ここにいる者の最大の問題であるからだった。皆、顔を見合わせ言葉を失っている。
「今日は疲れました。皆さんはゲストハウスに戻ってください。明日、正式な手続きをした後で、ひとりひとり、お話しましょう。」
皆、すごすごと引き上げていった。
如月が最後に残って、何か言いたげな様子で純一に近づいてきた。
「如月さんも、どうぞゲストハウスにお戻りください。あなたの役割は私をここへ連れてくることでしょう?もうその役目は終わりました。ほかの役員の方と同様、今後の上総CSに必要かどうか、私が決めます。」
純一はわざと高圧的な口調で言った。
地下のラボで見た映像から、如月の動きはどうにも信用できないと感じったからだった。
如月は苛立った表情を浮かべたまま、出て行った。

皆が部屋を出ていってから、純一はミホとともに、リビングのソファーに座った。
「大丈夫?」
ミホが純一に身を委ねるようにして訊いた。
純一は、ミホの肩に腕を回し、強く抱きしめて言った。
「ああ・・大丈夫さ。・・・なんだかよく判らないが、もう逃れられないようだからね。・・・」
「何か作りましょうか・・・。」
「ああ。」

ミホはキッチンに行き、冷蔵庫を開いて、定期等な材料を取り出して、夕食を作り始めた。その様子をぼんやり眺めながら、純一は少し違和感を感じていた。
初めてここに来るはずなのに、ミホは何かここの全てを知っているように見えた。キッチン用品のありかや、調味料の置き場所、何の迷いもなく、手早く料理を作っていく。ここに来たことがあるのではないか、そんな疑問が湧いてきたが、「そんな馬鹿な・・」と純一は取り消したのだった。ぼんやり眺めているあいだに少し眠気が襲ってきて、知らぬ間にソファーで眠ってしまっていた。

「純一さん、出来ましたよ。」
そういうミホの声で目が覚めた。大きなテーブルの上に、料理がいくつも並んでいた。
「さあ、いただきましょう。・・・冷蔵庫の中、すごいのよ。なんだか高級そうな食材ばかり。料理の腕も振るい甲斐があるわ。」
ミホは嬉しそうだった。純一も、ミホの手料理を美味しく食べた。
夕食のあと、ソファーで寛いだ。
島にぽつんとある邸宅。雑音など何も聞こえない。
ふと、地下のラボを思い出した。
あそこはガラスのドームでできている。きっと夜空が見えるだろう。
「なあ、ミホ、地下のラボへ行こう。ここよりきっと気持ちいい。」
純一は、ミホの手を取り、ラボへ行った。
予想通り、ガラスドームの上には星空が広がっていた。周囲に明かりが無いせいか、星座も分からぬ程の星の海が広がっていた。
この星空を眺めながら、亡くなった英一社長は何を考えていたのだろうか、ここにたった一人で居たのだろうか、如月を始め取り巻く役員への猜疑心を抱え、孤独の中で黙々と研究を続けてきたのだろうか、これだけの財力を得ているにも拘らず、途轍もなく深い悲しみの中にいたのではないだろうか。純一は星空を眺めながら、上総英一の人生について想いを巡らせていた。

2-10 副社長 [スパイラル第2部遺言]

2-10副社長
翌朝、年配の弁護士が進行役となって、正式な相続の手続きが進められた。上総英一が所有していた財産目録が一つ一つ読み上げられ、署名と捺印が繰り返された。
それを、敬二郎たちは、苛立ちながらも見守るしかなかった。すべてが終了した頃には、もう昼を回っていた。
「これで正式に僕が、上総CSの代表取締役社長となったのですね。」
年配の弁護士が頷いた。
「では、1週間後に役員会を開くことにしましょう。それまでに、現役員の皆さんは、それぞれに、上総CS発展のためのプランをまとめてください。そして、役員会で提案してください。その結果で、新体制を確定します。」
純一の提案に、敬二郎や里美、敬子たちは戸惑いを隠せなかった。如月と伊藤は、これを予想でもしていたかのように頷いた。
「では、みなさん、1週間後にお会いしましょう。」
純一はそう言って、ミホとともに、ラボへのエレベーターに乗り込んだ。

純一は、ラボに戻ると直ぐに大型モニターを起動した。まだ、上のリビングには、皆、残っていた。
皆、思い思いにソファーや椅子に座っている。
「ここに居たってしょうがない。家に戻るぞ!如月、船を出してくれ!」
敬二郎が立ち上がって、如月に命令した。
そうして、皆、リビングを出ていった。庭の映像に切り替えると、船着場に向かう通路を、列をなして歩いている姿が捉えられていた。そして、映像から消えた。

ミホが熱いコーヒーを煎れて運んできた。
「なんだか・・悪趣味よね・・・。」
ミホが呟いた。確かに、カメラで島中の様子を全て見ているというのは、いい趣味ではない。しかし、そこまでしないと安心できない状況にあった英一の心情を思うと素直に頷けなかった。
「ねえ・・そこにある緑色の画像は何?」
手元のコントローラーの右下には、ミホが言うとおり、緑色のコマがあった。軽く触れると、オレンジに変わった。もう一度触れると、大型モニターには、誰かのデスクが映し出された。席には誰も座っていない。何か、点滅する光が見える。呼び出しているのかもしれない。すると、ガタガタと音がして、ボサボサ頭で黒縁のメガネをかけた、見るからに卯建の上がらない男が慌てて覗き込んだ。そして、周囲を何度も何度も確認して、小さなヘッドセットをつけると、再び、覗き込むと、小さな声で言った。
「あなたは・・・小林純一さん・・ですね?」
どうやら、こちらの映像は届いていないようだった。
「ええ・・・小林です。あなたは?」
「本社の・・山下です。」
「では、副社長の山下さんですね。」
「ええ・・一応、そうなっていますが・・・しかし、名前ばかりで・・たいした仕事はしていません。・・・。」
「マリン事業部の伊藤さんは、あなたの人望で本社が纏まっているんだど言ってましたが。」」
「いえ・・それは間違いです。僕は、これで社長と絶えず連絡を取っていました。何かあれば、社長の代わりに社員に指示を出すだけです。・・・まあ、社員はこれを知りませんから・・・。」
「ほかの役員も?」
「ええ、おそらく、誰も知らないでしょう。社長が開発された最初の代物です。・・まあ、僕のアイディアも多分に入っていますが・・・。」
「単なる通信システムではないんですか?」
「一見、そう見えるでしょう?・・でも少し違います。・・・よく、見てください。私、口を開いていないでしょう?」
そう言えば、先程からなにか不自然さを感じていたのは、山下がただ、カメラを見ているだけの表情だったからだった。
「このヘッドセットをつけると、脳波を感じて、音声信号に変える・・というか、ええっと・・・考えていることを言葉にするシステムなのです。・・・ラボには、もう一回り小さいものがあるはずです。これをつけていれば、・・そう・・テレパシーみたいに会話ができるんです。良いでしょう!」
画面に映る山下の表情が、にやりとした。
「社長の手がけてこられたメビウスというシステムはご存知ですか?」
「ええ・・イメージは聞きました完成間近だとも・・・しかし、残念です。社長がご存命なら、きっと世界を驚かせる事が出来たはずです。何か、人造人間みたいなものを作っていると・・え?・・・もしかして、小林さんは人造人間・・てことは無さそうですね。・・・いや・・・こちらには映像が届かないものですから・・・。スミマセン・・電話です。一旦切ります。」
画像が再び緑色に変わった。
画像が切れてから、純一は、英一社長と山下の関係を測りかねていた。嘆いている様子もなかったし、淡々と社長の死を受け入れている様子だった。それよりも研究が途絶えたことのほうを残念がっている。信頼関係ということでもなさそうだし、お互い、変人なのかもしれない、純一はそう考えた。ただ、役員の中では、最も、信頼するに足るだろう。何しろ、財産とか権力とかとは無縁な価値観を持っている様子だったからだ。
画像が再び緑色からオレンジに変わった。これが通信の合図に違いない。軽く画面を触れると、再び山下が現れた。
「スミマセンでした。如月からでした。宿題が出たようですね。僕も、次の役員会に行かなくちゃだめですか?」
「ええ・・そのつもりですが・・・。」
しばらく、表情が固まっている。
「来れない事情でも?」
「いえ・・ただ・・役員会には出席したことがないものですから・・・。」
「君には、宿題よりも大事な頼みがあるんです。・・亡くなった社長の事を教えてもらいたいのです。ここでの暮らしとか、亡くなるまでの様子とか・・・自殺とされていますが・・本当なのでしょうか?」
しばらく、山下の言葉が途絶えた。
「それならば・・僕より適任がいますよ。秘書です。社長には三人の秘書がいました。そこでの暮らしの一切をやっていましたから・・社長もかなり信頼していたようです。」
「今は、居ないようですが・・・。」
「ええ、社長が亡くなってすぐに解雇されました。・・二人の居場所はわかりますから、そこへ行かせましょう。すぐに連絡を取ります。」
山下はそう言って通信を切った。

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