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2-3 過去の記憶 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

 一樹と亜美は、勝俣時子の紹介を受けて、当時指導員だった石黒弘江に逢うことにした。
 石黒弘江は、大学を出てすぐに、施設の指導員に採用されていた。養護施設の中では、最も若い先生であり、おそらく、有田優香(加藤祐子)と、最も年が近かった事から、心が通じたのかもしれないと想像できた。
いくつかの施設の指導員を経て、現在は、御殿場市にある児童養護施設の施設長をしていた。
施設に着くと、すぐに施設長室に通された。
 石黒弘江は、すらっとした体形でショートカットの髪型をしていて、50代に入ったばかりだろうが、まだ随分と若い印象だった。一樹たちが部屋に入ると、面談テーブルには先に座って、手早く済ませて欲しいという態度が、ありありと感じられた。
「加藤祐子さん?・・ええと・・三島の養護施設にいらしたんですよね。」
石黒弘江はすぐには思い出せない様子だった。
「当時、小学生で失語症だったようで、石黒先生が指導員をされて、徐々に回復したと、勝俣さんからはお聞きしたんですが・・。」
亜美が経緯を説明した。
「すみません。よく覚えていません。私も就職したばかりで、とにかく右も左もわからない状態でしたから。」
「親身になっておられたと勝俣さんからは伺っていたのですが・・。」
「いえ、そんなことは・・・。子どもたちとは余り、深い関係にはならないよう注意しています。・・私たちは指導員であり、親ではありませんから。厳しい環境に居る子どもたちには同情しますが、甘えさせる事は本人のためになりません。施設にいる子どもたちはどこか心の傷を抱えているんです。おそらく、その子もそういう状態だったんでしょう。」
石黒の答えは予想外なものだった。
「実は先日、橋川市で加藤祐子さんが関係する事件が起きていまして、生い立ちを調べているんです。加藤祐子さんについてご存じことがありましたら教えていただきたいんです。」
「事件ですか・・。しかし、私が居たのは5年ほどでしたから・・勝俣施設長が何をお話したかは知りませんが、あの方は、現場の事など全く理解されていませんでした。問題が起きるとすぐに現場のせいにして、自分には責任はないと身の保全だけを考える様な方でした。ですから、あの頃の職員は、あの方を信じていませんでした。見た目には、温厚そうで上品に見えるんでしょうが・・。」
石黒弘江は当時を思い出して憤慨している様子だった。
一樹も亜美も、この話には驚いた。
確かに、さっき訪れた勝俣施設長は温厚で上品に見えた。子どもたちの事をよく見ているようにも思えた。だが、現場の職員の見方とは全く違ったのだった。
「では、加藤祐子さんではなく、当時、何か印象的な事はなかったでしょうか?」
一樹が尋ねた。石黒弘江は少し考えてから言った。
「そう言えば、子どもたちの脱走騒ぎが起きました。」
「脱走?」と亜美。
「ええ、当時、養護施設には15歳までの子どもが保護されていたのですが、・・子どもたちが10人ほど、いなくなっていたんです。」
「いなくなるというのは尋常じゃありませんね。頻繁にあったのですか?」と一樹が言う。
「施設長のせいです。日頃から子どもたちに対して、躾と言って厳しくしていた・・いまでは考えられませんが・・体罰もしょっちゅうでしたし、部屋に鍵をかけて監禁に近い状態でしたから。中学生くらいになると反抗的になってしまって・・指導員も施設長には逆らえませんでした。そんな、窮屈な暮らしから抜け出したかったんでしょう。」
石黒弘江は、その頃との事を思い出し、遣る瀬無い表情を浮かべている。
「詳しく教えてください。」と亜美。
「ええ、夕食後は、各自、部屋に戻り、消灯まで静かにしていることになっていたんです。それで、夜10時の消灯の見回りで、中学生や小学生が何人かいないことに気付きました。私たち職員はすぐに警察に届けようとしたのですが、施設長が強く反対して・・結局、職員だけで探すことになりました。」
「どうしてですか?」
亜美が訊いた。
「事件になれば、当然施設長の責任が問われることになります。それが嫌だったんでしょう。」
「それで見つかったんですか?」と亜美。
「ほとんどの子どもは、駅の近くで見つかりました。行く当てもなく、駅前に集まって座っていました。でも、一番年上の中学生の男の子と、小学生の女の子が見つかりませんでした。」
「それで?」と亜美。
「翌朝まで見つからず、私たち職員もさすがに命の危険を心配して、施設長には了解を得ないまま、警察に届けました。それで、結局、二人は、足柄サービスエリアに居るところを巡回中の警察官に発見されました。施設長は、その責任を取って定年前に退職することになりました。」
石黒弘江は、事件を思い出して少しにやりとしたようだった。そして、
「そうだ。その子が確か、加藤祐子ちゃんです。思い出しました。ちょっと待ってください。」
そう言うと、壁の書棚を何カ所か見回し、何かを探している様子だった。暫くして、1冊のノートを取り出してきた。
「これは、個人的な業務記録です。日記代わりに書き残してきたものです。確か、あの事件ことも・・・。」
そう言って、ノートを捲り始めた。
「ありました。そう、足柄サービスエリアに居たのは、加藤祐子さん。まだ小学生でした。一緒に居た中学生は、矢野健一君、中学3年生でした。」
「なぜ、足柄サービスエリアに居たんでしょう?」
亜美が訊いた。
「矢野君が連れて行ったようですね。そこからヒッチハイクでもっと遠くへ行こうとしたと言っています。」
「そうですか・・。」と亜美。
「でも‥おかしいわね。‥施設からはかなり遠いんです。ヒッチハイクをするなら、愛鷹山パーキングの方が近いし、施設からすぐなんです。・・今、思い返すと変ですね。何かほかに理由があったのかも・・」
それを聞いて、一樹が言った。
「加藤祐子さんは、足柄サービスエリアで保護された身元不明の子どもだったんですよね。」
「えっ?ああ・・ああ、そうですね。確かそうです。そうですか・・だから・・足柄サービスエリアに・・思い出しました。その後、加藤さんは失語症ではなくなった。普通に私たちにも接してくれるようになったんです。随分前の事で忘れていましたが、確かにそうです。」
石黒弘江は、記憶の断片が繋ぎ合わさったようだった。
「一緒に居た、矢野健一君には、小さな妹が居たんです。ただ、施設に入ってすぐに、母親方の祖父母が引き取りにいらして、淋しそうにしていました。直後に、加藤祐子さんが入所してきたので、妹のように可愛がっていました。きっと、二人で足柄サービスエリアに行ったのも、加藤祐子さんが行きたいと言ったのでしょう。」
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2-4 つながる糸 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

石黒弘江との面談で、加藤祐子・・今は、有田優香の生い立ちが少しずつ明らかになってきた。
「加藤祐子さんの事で、他に思い出すことはありませんか?」
一樹が訊く。
「私は5年ほどで転勤になりましたから、中学生の頃の事は知りません。ただ、私が居た頃は、矢野君と本当の兄妹の様にしていたのは覚えています。ですから、矢野君が退所した後は、随分、寂しがっていました。矢野君も辛かったと思います。退所した年の夏に、一度、施設に顔を見せてくれたことがありました。その時は、加藤さんも嬉しそうでした。」
「あの、矢野健一君は、今、どうしているか判りますか?」
一樹が訊く。
「ええ・・中学校の卒業の時に、近くの工場への就職が決まり、会社の寮へ入って、そこから夜間の高校へ通ったはずです。」
石黒は、古い手帳を見ながら答えた。
 一樹と亜美は、石黒弘江に礼を言って、矢野が就職した工場へ向かう事にした。
 有田優香の子どもの頃を知る唯一の人物であり、兄弟の様に過ごしていたのであれば、北海道の事件も聞いているのではないかと推察されたからだった。
 
 矢野健一が就職した「NKU」という製造会社は、沼津港の近くの工場団地内にあり、敷地内に社員寮も持っていた。本社の事務所を訪ねると、すぐに人事部の担当と面会できた。
「随分前の事ですよね‥20年以上か・・。」
 黒メガネをかけ、白髪交じりの人事部の担当者は、分厚いファイルを抱えて、面談室に現れた。
「矢野・・矢野・・」そう呟きながら、名簿を確認している。
「すみません。今、現在、矢野健一という社員は居ませんね。」
 頭を掻きながら、人事部の担当は答える。
「93年前後に、中学校卒業してこの会社に入ったはずなんですが・・寮にもいたようです。」
と一樹が確認する。
「93年・・ねえ・・・。ああ、これか?」
そう言って、人事部の担当が名簿を見せる。
「確かに、93年3月に矢野健一を採用しています。20歳まではここで働いていたようです。・・ああ、そうか・・そうだ・・あいつだ。」
人事部の担当は、何かを思い出したようだった。
「矢野健一は、ここを辞めてから専門学校に入りました。ここに居た時から、随分、勉強熱心でね。夜間高校の先生からも大学進学を薦められるほど、成績が良かったんです。でも、経済的に厳しい事もあって、夜間も通える医療系の専門学校へ進んだはずです。それで、ここを辞めて、静岡市へ転居しました。母方の実家があるそうで、そこから通える学校に進んだはずです。」

工場を出ると、すでに日暮れが近づいていた。
「矢野の実家は明日一番で行ってみよう。とりあえず、課長に報告して、どこか、近くのビジネスホテルでも探そう。・・腹も減ったな・・・。」
一樹はそう言って、車に乗り込んだ。亜美も慌てて乗りこんだ。
沼津から静岡まで、国道1号線を走った。途中、ファミレスに寄り、夕食を済ませることにした。
平日の夜は、ファミレスは空いていた。二人が日替わりのディナーセットを注文すると、ほんの5分ほどでテーブルに運ばれてきた。二人は無言でそれを食べた。

「あの事件で人生が大きく狂ってしまったようね。」
食事を終えて、亜美が呟いた。
一樹も「ああ」と小さく呟いた。
「その上、施設に入ってからも厳しい環境だったみたいだし、孤独の中で、心を通わせた唯一の人間もすぐに離れて行ったなんて・・・。」
亜美は少し涙声になっていた。
「矢野健一の所在が判れば・・・。」
一樹が呟く。
「今は、遠藤健一でしょ?」
「ああ・・そうだった。いや、ちょっと待てよ。遠藤健一?・・どこかで聞いたことがある名だが・・。」
一樹が、ポケットから手帳を取り出す。パラパラと捲り、はっと手を止めた。
「遠藤健一・・あった。あの検査技師の名が、遠藤健一だ。」
「えっ?」
亜美が驚いた。
「まさか・・同姓同名ってことじゃない?」
「藤原さんに連絡してくれ。遠藤健一の出生を調べてもらうんだ。同一人物ならば、静岡の実家に行く必要はない。すぐに署に戻ろう。」
一樹はそう言うと、伝票を掴んでレジへ向かった。亜美も慌てて一樹の後を追った。

二人は、東名高速に乗り、真っすぐ橋川署を目指した。
車中で、藤原女史から亜美の携帯電話に連絡が入る。
「遠藤健一。本籍地は静岡市駿河区・・。確かに、NKUに就職、その後、静岡市にある医療専門学校を出て検査技師になっているわ。静岡市にある国立病院へ勤務した後、橋川市の市民病院へ転勤になっている。神林病院に来たのは、君原副院長の推薦だったようね。」
電話の中身は、運転している一樹も聞いていた。
「今回の事件は、有田看護師と遠藤技師の共謀の可能性が出てきた。確か、下川医師を発見したのは遠藤技師だったな。・・明日、朝にも、事情聴取できるように課長に伝えてくれ。」
「わかったわ。」
ようやく事件の構図が見えてきたような気がした。一樹は、アクセルを強めに踏んだ。5/4

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2-5 君原副院長 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

二人が橋川署に着いたのは、夜11時を過ぎたころだったが、刑事課の部屋には煌煌と明かりが点いていた。
「遅くなりました。」
二人が部屋に入ると、署長、鳥山課長、森田、松山、葉山が居た。
皆、困惑したような表情を浮かべている。そして、神林レイと君原副院長の姿もあった。
「有田看護師と遠藤技師が行方不明だ。」
鳥山課長が苦々しい表情で言った。
それを聞いて、亜美はレイの顔を見た。レイは済まなそうな表情浮かべている。
「どういうことですか?」と一樹。
「昼頃、病院内で、あの思念波を強く感じたんです。すぐに、思念波の持ち主を探したんです。」
レイはそう言って、その時の様子を話した。

12時を少し回ったころだった。
神林レイは、院長室に居た時、不意に、強い思念波を感じた。恨みの色というより、悲しみの色に近い・・だが、その波長は以前に感じたものと同じだった。
レイは、すぐに持ち主を探そうと、院長室を出て、エレベーターで1階の玄関ロビーに出た。
午前の診療が少し伸びていて、ロビーにはまだ多くの患者が居た。じっと周囲に注意を向けてみたが、ロビー内には、思念波は感じられない。
病院の外にあるのではと考え、外へ出ることにし、事務室の裏口から、職員駐車場へ出てみた。
ちょうど、その時間帯は、病棟の看護師たちが、午後の交代に合わせて出勤してくる頃で、職員駐車場には、何台か車が出入りしていた。
そこで、じっと意識を集中すると、駐車場の一番奥で、先ほどの思念波を捉えることができた。
その方向へ、少しずつ近づいてみると、駐車場の一番奥の場所に、赤い小型車が止まっていた。
遠目だったが、運転席に遠藤技師が座っているのが判った。そして、助手席には、有田看護師が座っていた。
よく見ると、有田看護師が泣いて遠藤技師に縋り付いている。それを遠藤技師が宥めているように見えた。
先に、レイが近づいているのを見つけたのは、遠藤技師だった。
遠藤技師は、レイに向かって深々と頭を下げたように見えた。駆け寄ろうとした時、車は急発進して、レイの横を通り過ぎ、場外へ出て行ったのだった。

「すぐに、今回の事件に二人が関係しているのだと判りました。それで、事務課へ行き、二人に連絡を取ろうとしたんです。ですが、二人とも携帯電話の電源が切られているようで連絡が取れず、すぐに、それぞれの自宅にも行ってみたんですが、戻った様子は無くて・・結局、所在が判らなくなったんです。」
レイが言う。
「やっぱり、そうだったのね・・・・。」
亜美が言った。
「あの・・ちょっと、よろしいでしょうか。」
そう言ったのは君原副院長だった。
「これは、私の机に置かれていたものです。・・1通は、下川医師が書いたものです。そして、もう1通は、有田看護師が書いたもののようです。」
そう言うと、白い封筒2通を一樹に渡した。
「今日は朝から、市民病院で医師会の会議があり、夕刻近くになって戻ってきました。その時には、神林院長が、遠藤技師と有田看護師が行方不明だと・・・何か手掛かりはないかと、部屋に戻って、この封筒を発見したんです。もう少し、早く動いていたら・・こんな事には・・」
君原副院長は、厳しい表情で天井を見上げる。

「もう少し早くとはどういうことですか?」
君原の言葉に疑問を抱いた一樹が尋ねた。
「実は・・最初の事件が起きてから、皆さんとは別に、犯人探しをしていたんです。病院内で起きた事ですから、当然、私にも責任はある。警察の皆さんに全てお任せして良い訳はない。・・ただ、もう少し早く、皆さんにお知らせしておけば良かったと強く後悔しています。」
君原は神妙な表情でそう言った。
「犯人探しを?」
一樹が訊く。
「ええ・・佐原さんが自殺された時、もし、誰かが殺した・・あるいは、自殺に追いやるようなことをしたのなら、きっと、病院内の人間だと考えたんです。医師か看護師か・・いずれにしても、患者に近づけるのは限られていますから。私は、すぐに、皆さんと同じように、院内の監視カメラの映像を確認し、当日の医師や看護師の勤務体制もチェックしました。だが、そこからは何も掴めませんでした。」
君原が答える。
「ええ・・それはこちらも同様でした。」
と一樹も頷いた。
「その後、上村さんが自殺された。・・上村さんは、佐原さん同様、神林病院に検査入院する予定だった。・・検査入院する患者が続けて自殺するなど、偶然にもあり得ない。そこで、見方を変えて、二人の入院経緯について調べてみたんです。・・どちらも、下川医師の判断で入院要請されていました。」
「ええ、そうでした。それが何か?」と一樹。
「検査入院するには、それなりの理由が必要です。既往歴があり、病状が変化しているとか、より精密な検査が必要だとか・・そういう理由を明らかにしたうえで、入院申請の手続きが必要になります。ましてや、最上階の特別室への入院となれば、副院長か院長の事前承認が必要なのです。」
「どういうことですか?」
「例えば、下川医師が二人を意図的に入院させようとしても、合理的な理由を示す必要がある。佐原さんも上村さんもその手続きに瑕疵はなかった。いずれも、定期健診で、レントゲン写真と血液検査データに異常が見つかっていたんです。おそらく、癌ではないかと考えられる所見がありました。」
「二人とも?癌?」と亜美。
「ええ・・申請時期はずれていますが、よく似たケースの申請になっていた。そこで、院内のカルテデータベースで再度点検したところ、レントゲン写真と血液検査データが書き換えられている形跡が見つかったんです。」
「データが改ざんされていた?」と一樹。
「ええ・・そして、それが、いずれも同じ検査技師によるものだった。そうです、遠藤技師が検査に関わっていたんです。下川医師と遠藤技師が何らかの意図をもって、二人を入院させた・・そう考えました。」
君原副院長は残念そうな表情で続ける。
「まず、下川医師に経緯を確認すべきだと考えました。でも、その時には、すでに行方不明でした。」
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2-6 残された手紙 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

君原副院長は、一樹たちとは違った視点で、今回の事件を捉え、解決しようとしていたのだった。
しかし、それは、病院の実質的な管理者として、強く反省していることによるものだった。
「下川医師と遠藤技師が何らかの意図をもって入院させた?・・何故でしょう。・・過去の事件への復讐であることは警察でも概ね想定していました。だが、そうなると、下川医師もその対象者のはずです。現に、下川医師は自殺か他殺かはっきりしない状態で死んでしまった。・・遠藤技師単独で検査データを改ざんし、下川医師はその結果を正しいものだと受け止めて、入院の判断をしたと考えるのが自然なんじゃないでしょうか?」
一樹が念を押すように訊く。
「ええ・・それも考えました。しかし、下川医師ほどの優秀な医者であれば、数値の異常やデータ改ざんを見抜けないはずはない・・これは、下川医師の考えによるもの、あるいは二人で共謀しているのではないかと考える方が、妥当なのです。」
君原副院長は、冷静に答えた。
「自分が、死を迫られることを理解したうえで、今回の事件を起こしたという事ですか?」
一樹が再び、君原に訊く。
「そこまでは判りません。ただ、深く関与している事は間違いないと思います。」
君原は残念そうに答えた。
一樹も納得したようだった。
「レイさんが感じた思念波の持ち主は有田看護師ですよね。」
亜美が口を開いた。
「ええ・・間違いないと思います。」
レイが答える。
「有田看護師は、帯広一家殺害事件の、唯一の生存者でした。そして、静岡、足柄サービスエリアで発見された。おそらく、犯人たちに連れて来られたはず。そして、その犯人が、佐原、上村、下川の3人だった。有田看護師は、3人の居場所を掴んで、終に復讐を果たしたという筋書きができる。」
一樹が説明する。
「有田看護師と遠藤技師は、静岡の児童養護施設で兄妹同然の仲だったこともわかっています。おそらく、有田看護師の復讐を遠藤技師が助けていたという事が考えられます。」
と亜美が続けた。
「ということは、有田看護師と遠藤技師が中心になって、下川医師も巻き込んで、佐原氏と上村氏の殺害・・いや・・自殺ほう助を行った。その上、最終的に下川医師も自殺に追い込んだということか。」
鳥山課長が纏めるように話す。
「それぞれの関係はよく解りました。ただ、それを裏付ける証拠はどうかという事になりますが・・」
紀藤署長が、皆の顔を見ながら、訊いた。
「その2通の手紙には、我々の疑問を解き明かす内容が書かれていると考えられます。ただ、注意しておきたいのは、今回の事件は、余りにも物証や目撃情報が足りない・・状況証拠ばかりです。そこへ、この手紙。」
紀藤署長は、目の前の机に置かれた手紙を取り上げ、じっと見つめてから、続けた。
「冷静になっておかないと、この手紙を鵜呑みにして、真実を見落としてしまうかもしれません。・・この手紙を開く前に、皆さんの疑問や引っかかっている点を整理しておきましょう。」
紀藤署長は、捜査本部が行き詰っている状態だからこそ、冷静に捜査を進める事を強調し、皆も、同意した。
暫く、沈黙があった後、切り出したのは、葉山だった。
「ひとつ、気になるのは・・有田看護師は、その犯人たちをどうやって探し出したのか。事件当時、有田看護師はまだ5歳だった。それから20年以上、おそらく、犯人たちの風貌も随分変わっているでしょうし、5歳の時の記憶だって、あいまいになるでしょう?それでも、犯人に辿り着くというのは奇跡としか思えない。」
それを聞いて、松山が立ちあがって言った。
「それでしたら・・何か、犯人だと決めるものがあったんじゃないでしょうか?・・名前とか…身体的な特徴とか‥子供でもはっきりと区別できるような何か・・・。それを偶然発見したというのはどうでしょう?」
それを聞いて、今度は森田が言った。
「その逆はどうでしょう?犯人側から、有田看護師・・当時5歳の女の子を偶然発見してしまった。事件の発覚を恐れ、自分が犯人だという事を記憶しているかを確かめるために接触したとは考えられませんか?」
「覚えていなければ、そのままほっておけばいい、もし覚えていたのなら、何らかの方法で口封じをするということか?」と一樹が言う。
「ええ・・そうです。リスクはありますが・・偶然、身近に事件を知る人物が現れたとしたら、疑心暗鬼でいるより、いっそ確認したいと思うんじゃないでしょうか?」と森田が加える。
「確か、下川医師が有田看護師を神林病院へ呼び寄せたんですよね?」
藤原女史が思い出したように言った。
「ええ、そうです。神林病院のスタッフを集めていた時、下川医師から紹介があり、採用しました。」
君原副院長が答えた。
「では、下川医師と有田看護師は静岡の病院時代に会い、北海道の事件をどちらかから切り出した・・そして、今回の事件へ繋がったということになりますよね。遠藤技師はどうです?」
藤原女史が訊くと、君原副院長が答える。
「静岡の国立病院の友人から紹介があって、私が、採用するよう推薦しました。」
それを聞いて、藤原女史が言う。
「私が調べたところでは、下川医師と遠藤技師は国立病院で同時期に働いていました。」
「そうか!」
と一樹が立ちあがった。そして続けた。
「有田看護師と遠藤技師は、子ども時代に同じ施設で過ごし、兄妹の様な仲だった。その頃、有田看護師から事件の事を聞いていた。そして、その犯人の特徴も遠藤技師は知っていて、国立病院でその特徴を持った人物・・下川医師を見つけた。そのことを、有田看護師に伝え、有田看護師が下川医師に近づいた。そういう経緯じゃないでしょうか?」
それを聞いて、葉山が続ける。
「そこから今回の事件の準備が始まった。おそらく、下川医師に近づいた有田看護師は、北海道の事件の事を下川医師に話して、脅迫した。共犯者を含めた今回の復讐計画を手伝わせたという流れなら、理解できる。」
それを聞いて紀藤署長が口を開いた。
「だいたい、今回の事件までの経過はそれでまとめましょう。きっと、その裏付けになることが、手紙に書かれているでしょうから。・・では、手紙を開けてみましょう。」
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2-7 90年夏 北海道 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

初めに、下川医師の手紙が開封された。
『新道院長 様 君原副院長 様
病院に多大なるご迷惑をおかけした事を深くお詫び申し上げます。
すべては、私が学生時代に犯した罪を隠すために仕組んだ事であり、病院側には全く関係ない事であることをお伝えいたします。』
こんな書き出しで、下川医師の手紙は始まっていた。そして、それに続いて、北海道の事件の経緯が詳細に書かれていた。

1990年 初夏
 大学生だった、上村(当時は横井)は、同郷の下川を誘って、北海道までやってきていた。
上村は、学生の身でありながら、株取引の会社を興していた。
時代は、バブル景気に沸き、僅かな元手で会社を興し、成功を収めたケースがごろごろあった。上村もその一人だった。だが、バブル景気は一気に弾け、金融危機となり、上村の会社も損失が嵩んで倒産寸前となっていた。僅かな元手で始めた会社である。手の打ちようのない状態で、会社の仲間たちはすぐに離れてしまい、今は、上村一人がその損失を補てんせざるを得ない状況に追い込まれていた。
医学生だった下川とは、高校時代から交流があり、東京の大学に進学した後も、連絡を取っていた。上村は、自らの状況を下川には話していたが、もともと、苦学生だった下川が援助するほどの余裕はなかった。行き詰った上村は、下川を誘って、同郷の佐原を訪ねて、北海道にやってきたのだった。
佐原は、東京の大学へ進学したが、実家の繊維会社が倒産し、多額の負債の連帯保証人だったため、大学を退学し、返済のために働き始めたが、アルバイトの身分では到底返せるものではなく、結局、東北を転々して借金取りから逃げ回っていたのだった。居場所は、大学時代の恩人には知らせていたが、上村がそれを掴んで、追ってきたのだった。

上村たちは、札幌郊外にある建設会社の社員寮に佐原が居ることを知り、連絡なしに佐原を訪ねた。
「こちらに佐原という男が働いていませんか?」
建設会社の受付で、上村は大きな声で尋ねた。その声に驚いて、事務員が飛んできた。
「あの・・どちら様でしょう?」
「ああ、佐原の高校時代の友人です。こっちにいるって聞いたものだから、ちょっと顔を見に来ました。」
事務員の女性は、少し生意気そうに話す若者を怪訝な顔で睨んだ。
「・・借金取りじゃないですよ。・・」
不信がる事務員に対して、上村はわざと陽気に答えた。
事務員は、事務所の扉の外に視線を遣る。ちょうど事務所の扉のガラス越しに、真っ赤なスポーツカーが停まっているのが見えた。助手席には下川が座っていた。下川は、地味な服装で髪を七三に分けていて、真面目で上品そうに見える。事務員はそれを確認したうえで、上村が、借金取りの類ではないだろうと判断して、佐原を呼んだ。
「今、作業場に居ますから、しばらくお待ちください。もうすぐ昼休みになりますから・・。」
事務員はそう言うと、自分の席に戻った。
上村はそう聞いて、車に戻ることにした。
「ここに居たよ。もうじき昼になるから戻るそうだ。」
運転席に座りながら、上村は言った。下川は気乗りしない様子で、「ああ」と曖昧に答えた。
30分ほど待っていると、作業着に身を包み、汗を拭きながら、佐原が事務所に戻ってきた。事務員から、面会者がいることを告げられ、外の赤いスポーツカーを指さしている様子が、上村たちからも見えた。
「どうしたんだ?こんなところまで・・。」
佐原は、運転席に近づくと、周囲を警戒しながら言った。借金取りに追われる日々の中で、周囲に気を遣うのが癖になっていた。
「いや・・ちょっと相談があって・・時間、あるか?」
上村は何か含みを持たせるような言い方をした。
それを聞いて、佐原は明らかに拒絶するような表情を浮かべる。上村とは高校時代からの友人だが、信用できないのだった。特に、こんなふうにやってくるのは、良い話ではない。高校時代にも、上村に乗せられて、犯罪に近い事をやらされてきている。その時の記憶が呼び戻されるようだった。
「いや・・君には申し訳ないんだが・・実は、横井が困っていてね。手助けしてやろうと思って・・」
助手席から下川が助け舟を出した。
佐原と下川は、高校の頃一時期、同じクラスで、ともに勉学ではトップクラスの成績だったこともあり、何かと行動を共にした仲だった。上村(横井)とは、腐れ縁という感じだが、下川とはむしろ親友に近い関係と言えた。その下川の言葉は、佐原も素直に聞けた。
「わかった・・だが、仕事を休むわけにはいかない。夕方、また来てくれないか。そうだ・・6時にここで待ってるから。」
佐原はそう言うと、事務所に戻って行った。上村と下川は、昼食を取るために、帯広方面へ向かう国道沿いの小さな喫茶店に入った。
「おい、横井。一体どうするつもりだ?・・佐原だって、借金に追われているんだ。金を借りるなんてこと無理だぞ。そもそも、お前の借金はとても返せる額じゃないだろ。自己破産して、やり直すほかないだろう?」
下川は、食事の最中も、同じような話を何度も繰り返した。東京から北海道までの道中も、何度も下川は上村を説得してきた。だが、上村は受け入れようとはしなかった。
上村は、下川の言葉を聞き流し、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
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2-8 喫茶店にて [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

駐車場に置いていた赤いシボレーの横に、高級外車が停まった。
すぐに、助手席から黒づくめの若い男が現れ、後ろのドアを開く。すると、中から、三つ揃えのスーツに身を包み、黒いアタッシュケースを抱えた男がゆっくりと現れた。見た目で、その男がただのサラリーマンではない事はすぐに判った。
そして、その後を、作業着を着た中年の男がいやいや乍らついている。何か、脅されているようでもあった。
若い男が二人、先に喫茶店の中に入ってきて、店内を見渡したあと、アタッシュケースを持った男を奥の席に案内している。作業着の男もその後をついて入ってきた。
店内の観葉植物の陰の席に上村たちは座っていたため、例の若い男たちは、上村たちが居ることに気付かないようだった。
「おい。・・何だか面白そうな話が聞けそうだ。」
上村は、声を潜めて下川に言うと、身を縮めるようなしぐさをした。下川もつられて同じ姿勢を取った。
店主が、水をもって男たちの席に近づくと、若い男が遮り、「注文は良いんだよ!」と言って、店主を追いうようにした。よほど聞かれたくない話のようだった。
奥の席から話し声が漏れる。上村たちはそっと聞き耳を立てた。
「さあ、これで良いでしょう。お互い、損をしない話だ。牧場は提示した通りの価格で買い取る。そして、それとは別に、お礼を差し上げようというんです。これは、まったく表に出ないお金だ。これだけあれば、一生不自由しないでしょう。・・あなたが承諾してくれれば、全てが丸く収まるんですよ。」
三つ揃いのスーツを着た男の声に違いなかった。言葉は柔らかいが、野太い声で威圧感がある。ほとんど脅しているのと変わらなかった。
「しかし・・・・」
返答しているのは作業着の男のようだった。か細く弱々しい。今にも消え入りそうだった。
「工事は随分遅れているんですよ。あの土地が手に入れば、大きな道路がすぐにも開通する。そうなれば、市民の皆さんはたいそう喜ぶんです。いわば、あなたは地域の功労者になれる。その上、これだけの金を手に入れることができる。どこに問題があるんだ。」
三つ揃えのスーツの男は少し苛立ち言葉が悪くなった。
「先祖から引き継いだ土地なんだ。・・親父が生きている間は・・。」
作業着の男は、何とか絞り出すように話す。
「親父?・・じゃあ、すぐにも死んでもらえばいい。・・それくらい、お手伝いしますよ。」
三つ揃えのスーツの男は、不敵な笑みを浮かべて、そう言うと、煙草をくわえる。すると、若い男がすぐさま火をつける。
「そんな・・・。」
作業着の男が叫び声にも似た声を出した。
「冗談ですよ・・だが、私の一声で、簡単にやってしまうような男を知っているということです。そんなことはしませんよ。・・だが、身の安全を考えるなら、そろそろ決断した方が良い。そうだ、確か、あなたには、奥さんも、小さなお子さんもいらっしゃる。無事に毎日暮らせると良いんですがねえ・・」
男はそう言うとたばこの煙をふーっと吐き出した。
傍で聞いていても、もう、承諾する寄り道は無いのは明らかだった。
「じゃあ、こうしましょう。承諾していただけるなら、アタッシュケースをもう一つ用意しましょう。ざっと2億円になる。これだけあれば、本土へ転居して、新しい土地へ新築の家を建て、さらに、お子さんたちも大学までやれるでしょう。土地の代金と併せて、ざっと3億円になる。それで手を打ちましょう。」
一方的だった。
「おい、どうなんだ!」
脇に居た若い男が、乱暴な言葉を浴びせる。
「おい、黙ってろ!私がこの方と話をしているんだ!」
スーツの男は、若い男の胸座を掴んだ。そして、タバコの火を若い男の額に押し付ける。ジューと音がする。若い男は脂汗を流して耐えている。
「わ・・わかりました・・。」
作業着の男は机に突っ伏して承諾する。
「わかっていただければ良いんです。では、この書類に署名と捺印をお願いします。」
スーツの男は涼しい顔で、書類を差し出し、作業着の男にサインをさせた。
「では、今日はこれで。・・今夜にも、お宅に権利書を受け取りに参ります・・。」
スーツの男はすっと立ちあがると、作業着の男を連れて、店を出て行った。上村と下川は、気づかれないようにそっと窓の外を見る。ゆっくりと高級外車が動き始め、出て行くのが見えた。
「おい、下川!追うぞ!」
上村はそう言うと、食事代も払わずに店を出る、下川は慌てて代金を払って、上村の後を追う。
国道は車の通行はほとんどなかった。いったん見失ったが、上村は自慢の車を飛ばして、すぐに高級外車に追いついた。高級外車は、そのまま、国道274号線を帯広方面へ走っていく。前後の車は居ない。上村は高級外車に気付かれないよう、少し距離を置いて走る。人家が亡くなり、山間に入る。目の前に、ダムが見える場所までくると、高級外車が停まった。
道路わきには、白いトラックが停まっていた。そこで、作業着の男が、アタッシュケースを二つ抱えて、車を降りた。高級外車はそこでUターンすると、来た道を戻って行く。
上村は気付かれないよう、そのまま、高級外車とすれ違うと、ダムの近くまで来て車を停める。
しばらくすると、作業着の男が白い車に乗り込むのが見えた。作業着の男は、乗り込んだものの、すぐには発進せず、ハンドルに伏せるようにしている。おそらく、鐘を受け取ったことを後悔しているに違いなかった。しばらくすると、顔を上げて、車を急発進させ、ダムの方面へ向かって走って行った。
「佐藤牧場・・か・・。帯広郊外にあるようだな・・。」
上村は、白いトラックに書かれた名前と住所を瞬時に読み取っていた。
「よおし。」
その言葉は、何か、良からぬことを思いついたことを感じさせるものだった。
「おい、佐原のところへ戻るぞ。」
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2-9 悪魔の誘い [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

国道をひたすら札幌方面へ走りながら、上村の顔は、徐々に紅潮していくのが判った。途轍もない事を思いついている事は下川にも十分に理解できた。
「おい、一体、何を考えているんだ!」
下川は、異常と思えるような形相の上村を見て、堪らず言った。
「一挙に問題は解決するんだよ!まあ、任せておけ。」
「まさか。お前、あの金を・・。」
「ああ、そうだ。どうせ、裏の世界の金なんだ。表に出ることはない。」
「犯罪だぞ!」
「俺の借金は、これからまじめに働いても到底返せる金じゃない。多少のリスクは避けられないさ。少しばかり、分けて戴くだけだ。」
「お前は、それに、佐原を巻き込もうって言うのか?」
「ああ、あいつだって、親の借金に困っているんだ。すぐに乗るさ。」
「馬鹿な事はやめるんだ!」
「いいさ。・・お前はここで降りても構わないよ。だが、他言無用だ。」
もはや、上村を止める事などできなかった。

佐原の務める建設会社に到着した時には、辺りは夕日に染まっていた。
上村は、佐原を車に乗せると、すぐに、今来た国道を取って返した。
「いい話がある。お前は親の借金で苦労しているんだろう?・・俺も借金に追われている。このままじゃ、二人とも一生浮かばれない。・・どうだ、これから一緒に、仕事をしないか?」
上村は、そう言うと、昼間、喫茶店で見たことを詳細に佐原に説明した。
「それは犯罪だろう。・・それより、今の話を警察に話した方が良い。その・・佐藤牧場の人は、きっと無事には済まされないだろう。いったんは、金を受け取れたとしても、その後、もっとひどい目に遭うかもしれない。」
佐原の言葉は正しかった。
「じゃあ、お前は、このまま一生借金取りから逃げ回って生きていくつもりなのか?」
上村が、吐き出すように言うと、佐原は答えに窮した。大学を辞め、アルバイトをしながら、借金取りから逃げ回り、実のところ、もう気力も体力も限界に来ていた。正直なところ、この仕事を最後に命を絶つことさえ考えた事もあった。
上村はその様子を見て囁くように言った。
「盗むんじゃない、少しの間、借りるんだ。目の前の借金を返して、真面目に働いて、コツコツ返すんだ。もともと、悪銭なんだ。それを借りて、俺たちは更生する。そう考えようじゃないか。」
身勝手な理屈だった。そもそも、借りる事などできるものではないはずだった。しかし、佐原にとって、その言葉は、充分すぎるものだった。
「ああ・・判った。だが、命を奪ったり、傷つけたりしない。見つかったら、正直に捕まろう。それならば、おれはやるよ。どうせ、このままじゃ、野垂れ死ぬだけだ。」
佐原の言葉に、下川は驚いて訊いた。
「君は、本当にやるつもりか?」
佐原は、じっと下川の目を見て言った。
「下川君、君は、何も知らなかったことにするんだ。これは、僕と奴だけがやることだ。君はまっとうに生きるんだ。」
「いや・・ここまで、横井を連れてきたのは僕だ。こうなったのは僕の責任でもある。こうなったら、君と横井だけの事にはできない。最後まで見届ける。そして、横井が約束を守るよう監視する。」
下川は佐原の肩を強く掴んだ。
「よし・・じゃあ、行くか。」
3人の乗った赤いシボレーは、国道を帯広方面へ走り出した。

途中、行違う車はほとんどなかった。
車内の3人は、じっと無言で、暗い国道の先を見ている。
幾つかの峠道を超えると、目指す「佐藤牧場」が見えてきた。周囲には、民家はなかった。背後に原生林を抱えた牧場が山麓にポツンとあった。開拓以降、代々の男たちが山を切り開き、開墾し、農地にしたのだろう。土地に対する執念は、いわば、佐藤一家にとってはここに生きた証に違いなかった。

赤いシボレーは、牧場の手前の森の中に隠すようにして停めた。万一にも誰かに目撃されてはならない。暗闇に紛れて、3人は佐藤牧場へ向かう。夜8時を回ったころだった。

牧場の入り口には、外灯が一つあった。入口には、佐藤と書かれた表札と、牧場主「佐藤健一郎」の名が書かれていた。
3人は、身を隠すようにして、牧場の周りを囲むように立っている柵伝いに、大きく回り込んで、佐藤一家が住んでいる母屋からは、最も離れた辺りから、敷地内に入った。
そして、いくつかの建物や農機具の陰を使って、背の高いサイロのある建物の中へ一旦身を隠した。
その中には、牛の飼料が山の様に積まれていて、そのための器具が置かれている。
その陰から、建物の窓越しに、母屋の様子を探る。オレンジ色の灯りにぼんやりと、食事をしている家族の姿が見えた。
3人はしばらくその様子を見ていた。祖父と祖母、父と母、そして幼い子供が二人、静かな夕食を摂っているようだった。
3人もふと自分たちの幼かった頃の事を思い出していた。幼い頃、佐原も上村も比較的裕福な家だった。下川は、母が病弱で、夕食は一人で摂ることが多かったが、それでも、年に何度か、家族で楽しい食事をしたことは記憶にあった。
「なあ・・本当にやるのか?」
下川が呟く。上村と佐原は、その問いにすぐには答えなかった。暫くして、上村が「ここまで来たんだ、やるしかない」とつぶやいた。
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2-10 招かれざる客 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

三人がサイロの建物に潜んでから、1時間ほどが過ぎた時だった。
夕食を終え、家族はそれぞれ自分の部屋に戻ったようで、先ほどまでオレンジ色の灯りが点っていた食堂と思しき部屋の明かりが消えた。
しばらくすると、母屋の裏口から、誰かが出てくるのが見えた。
黒い影は、何か大きなものを抱えて、足音を忍ばせるようにして、サイロのある建物へ近づいてくる。そして、灯りもつけずに、建物の中に入ると、丸く固められた牛用の飼料の中に手を突っ込んでいるようだった。ごそごそとしばらくその動きが続いた。そして、抱えてきた大きなものをその中へ入れている。薄暗い中でどれだけ目を凝らしても、はっきりとした様子は判らなかった。
その間、三人はじっと息を潜めていた。
作業が終わると、その人影は再び、母屋へ戻って行った。そして、母屋の灯りが消えた。

三人は、静まった様子を確認して、先ほどの作業をしていた場所へ出てみた。
薄暗い中だが、随分と目が慣れてきて、間近の様子は判別できるほどになっていた。
「おい、これ・・。」
そう言ったのは、上村だった。飼料の中には、昼間見たアタッシュケースが押し込まれていた。
「ここに隠したんだ。」
上村は、そのアタッシュケースを取り出して、確認する。
「ああ、きっと家族にはまだ、話してないんだろう。」
下川が言った。
後ろめたい「金」であるのは間違いなかった。
上村は、アタッシュケース2個を地面に置く。そして、そっと開いてみる。中には、100万円の束が綺麗に並んでいる。まだ手を付けていない様子だった。
「おい、袋を出せ!」
上村が指示をする。
「本当に盗むのか?」
佐原が確認する。
「ここまで来て、手ぶらで帰るのか?・・言っただろう。ちょっと借りるだけだ。真面目に働いて返しに来るんだよ。」
勝手な理屈だった。
佐原が、仕方なく、服のポケットから、黒いごみ袋を取り出すと、上村は、それをふんだくるように受け取り、アタッシュケースから札束を袋に移す。
アタッシュケース2つ分の札束は、黒いごみ袋4袋に分けた。そして、空になったアタッシュケースには、散在している飼料の干し草を詰め込んで、元の場所に戻した。それから、三人は物音を立てないよう、サイロのある建物から外に出ようとした。
その時、牧場の前の国道から、車のエンジン音が響いてきた。
「おい、まずい、隠れろ!」
三人は、慌てて、元の場所に身を潜めた。
国道を走ってきた車は、ライトを消して、ゆっくりと佐藤牧場へ入ってくる。
よく見ると、それは、昼間に喫茶店で、見た黒い高級外車で、運転席と助手席に、あの若い男二人が乗っていた。
「あいつら・・。」
予想がついていたように、上村が呟く。
母屋の玄関で、男たちは、家の中の様子を伺っている。そして、裏手に回り、裏口から入って行った。
「権利書をいただきに来たぜ!」
少し乱暴な言葉で若い男が言った。
薄暗い部屋に男の声が響く。すぐに、牧場の主人、佐藤健一郎が飛び出してきた。
「静かに!」
「ああ・・悪かった。・さあ、約束の権利書・・出してもらおうか?」
「わかりました。すぐに用意します。ちょっと待ってください。」
そう言うと、佐藤健一郎は一旦奥へ入り、すぐに、権利書をもって戻ってきた。
若い男の兄貴分と思しき方が、それを開いて内容を確認する。
「よし、これで社長との取引は完了だな。・・じゃあ、明日にでも出て行くんだ。良いな。」
兄貴分の男は、にやにやしながら言った。
「いや・・明日というのは・・・まだ、親父にも話していないんだ。・・工事もまだすぐには入らないはずだ。せめて、1ヶ月は待ってくれ!」
佐藤健一郎は、至極、当たり前な事を要望した。
「おいおい・・あれだけの大金を手にしただろうが、・・家も家財道具もキャッシュで手にできるだろ?」
「そんな‥、無茶な!・・。」
「ほう、そうか・・なら、あの金は返してもらおうか。借金だけは帳消しにできるがな・・その先はどうなることかな?」
意地悪そうに、兄貴分が言う。
「そんな・約束が違う・・・おい、その権利書を返せ!・・・金も返してやる。さあ!すべてなかった事にする。返せ!」
佐藤健一郎は、兄貴分の手にある権利書を取り返そうとするが、あっという間に、弟分の男に、腕を羽交い絞めにされた。
「おい、俺たちに逆らおうってのか?・・身の程知らずだな。」
弟分の男は、羽交い絞めにした腕をさらに強く締め上げる。
「もともと、あんな大金、お前にはもったいないんだよ!・・こんな土地にこだわって、儲かりもしない牧場なんかにしがみついてるから、こんなことになるんだ!・・お前には、借金を苦に一家心中って筋書きがピッタリなんだよ!」
そう言うと、兄貴分の男が、佐藤健一郎の顔を殴りつける。
「おい、金はどこだ?金だけでも返せば、命は助けてやろう。どうだ?」
「わ・・わかった・・・。」
佐藤健一郎は、もはや観念した。これ以上逆らっても話が通じる相手ではない。
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お詫び [苦楽賢人のつぶやき]

転居を機に、So-netのネット環境が整わず、しばらく記事アップできません。休載させていただきます。再会は7月末になりそうです。見捨てられるかもと不安ですが、やむを得ず、このような事になりました。全て、So-netの事務局のミスです。まことに申し訳ございません。
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