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アスカケ第1部 高千穂峰 ブログトップ
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-ナレの村-1.カケルとイツキ [アスカケ第1部 高千穂峰]

「イツキ!もう戻ろう。」
高千穂の峰から流れ出る渓流に、膝まで浸かって、銛を片手にしたカケルが呼ぶ。腰につけた竹籠には、ヤマメや鮎が何尾も入っていた。
カケル8歳。まだ少年だが、自然の中でのびのびと育ち、溌剌とした眼差しには、生きる命の輝きを感じさせた。
「ええ?もう帰るの?」
山桃の木の枝の間から、鈴の音のような透き通った声が返ってきた。

声の主は、イツキだった。
カケルと同い年。イツキの母は、イツキが生まれた年に病気で亡くなり、父も3歳の時に亡くした為に、ナギとナミの夫婦に、カケルと兄妹同然に育てられたのだった。目覚める時から眠るまで、イツキはカケルの後を追うようにして、一日をともに過ごしていた。

「魚は、たくさん獲れたし、もう日が沈む。早く戻らないと道を失う。」
カケルの声に、イツキは山桃の木の枝をするすると降り、カケルのいる川岸にやってきた。腰の籠には、山桃の実が溢れるほど入っている。
カケルは、とても8歳の子どもとは思えない跳躍力で、水から飛び上がると、大岩の上を三つほど跳ねてから、川岸にたどり着いた。

二人は、蔓を手に、川岸から山道に上がり、深い森をぬうように駆けた。
「カケル!少しゆっくり駆けてよ。せっかくのヤマモモがこぼれちゃった。」
突然、カケルが止まった。
「どうしたの?」
「シッ!」
カケルは辺りの様子をじっと伺っていた。夕暮れになり、森の中にはじんわりと暗闇が広がり始めていた。ふいに、カケルは、上を見上げ、眼を凝らした。そして、少し先にある楠の大木に一気に登り始めた。下から3つほどの枝先に移ると、さらにその先に進んでいく。

「やっぱり、ここにいたのか。」
カケルはそういうと何かを抱えて、一気に枝先から下へ飛び降りた。
「カケル。何があったの?」
カケルの腕には、まだ幼鳥と思える「鷹」が抱えられていた。
「まだ、うまく飛べないのかな?」
腕に抱えられた鷹は、ピーピーと鳴きながら、時折、カケルの腕に鋭い嘴を突きたてようとしたり、鋭い爪で何かをつかもうとした。
「もう大丈夫だよ。」
カケルはそう言いながら、鷹の様子を見た。
「こいつ、怪我してるみたいだな。連れて帰ってやろう。」
そう言うと、また、先ほどのような速さで、山道を駆け出したのだった。

尾根を越えたところに、「ナレ」の村はあった。夕暮れには、獣除けの為に、檜で作った分厚い門を閉ざしていた。
「おお、カケルとイツキが戻ってきた。・・門を開けよ!」
高楼の上から、長老が声をかけた。門の傍に居た数人の男が、獣除けの分厚い門をわずかに開いた。カケルとイツキは、その隙間にすべり込むように村に入ってきた。そしてそのまま、カケルとイツキは、父母の待つ家へ駆け込んだ。
沢.jpg

-ナレの村-2.ヤマモモ [アスカケ第1部 高千穂峰]

2.ヤマモモ
「良かった。日暮れ前に戻ってきたな。」
父ナギが、縄を編みながら、家の中に飛び込んできた二人に、声を掛けた。
カケルの父、ナギは村で一番の縄作り名人であった。ナギの作る縄は、太く強く風雨に曝されても切れることがなかった。村を出てすぐのところにある谷を渡る縄橋や、裏山の崖に上る縄梯子もナギの手によるものだった。
「獲物はどうだ?見せてみろ。」
そういうとナギは、カケルの腰から籠を取り上げて、中を覗いた。
「ほう、たくさん獲ったな。」
「うん、西の谷にある二つ岩の向うまで行ってみたんだ!」
「そうか、あんなところまで行ってたのか。」
「そこにはね、深い淵があったんだ。そこに潜ったら、たくさん魚がいたよ。」
「ほう、良い場所を見つけたな。今度は、一緒に行こう。」
「うん。とと様なら、もっとたくさん獲れるよ。」
「ああ・・だがなあ、タケル。そんなにたくさん獲ってはいけないぞ。魚も命があるんだ。大事にせねばならない。自分たちが食べる分だけにしておかないといけない。・・それと、淵に入る前にはしっかりお祈りをするんだ。淵の神様に許しをもらってからにするんだぞ。」
「うん・・今日も、ちゃんとお祈りをしたよ。」
そう言って、地に両手をつき、深々と頭を下げ、いにしえの祈りの言葉を発した。
「ね・・これでいいんでしょ。」
「ああ、上出来だ。ちゃんとやるんだぞ。カケルは良い子だ。」
父の言葉に、カケルは得意な笑顔を見せて、家の中を跳ねてみせた。竃の火加減をみていた母ナミも微笑んでみていた。
「良かったね、カケル。・・イツキはどうしたの?」
「うん。イツキは山桃の実をたくさん採ったよ。」
その返事に、ナミとナギは顔を見合わせた。そして、ナミはナギに何かを確認するように頷いてから、静かに訊いた。
「そのヤマモモの木は大きかったの?」
「うん。とっても大きかった。川の傍に立ってて、両手をうんと伸ばしたような格好をしてたんだ。カケルが魚を獲る間に、私、そこに登って実を摘んだんだ。」
「そう、たくさん取れたのね。」
その会話を聞いていたナギが立ち上がり、イツキの傍に座り、イツキの背に手を当ててから優しい声で話し始めた。
「イツキ、よく聞きなさい。その山桃の木は、イツキの父様の樹なんだよ。」
ナギの言葉の意味がよくわからず、イツキはナギの顔を見た。
「イツキはきっと覚えていないだろうが、お前の母様が死んでから、父様はいつもお前をつれて、畑や猟にも行っていた。ある日、西の谷の向うにある畑に行く途中、大きな熊が出たんだ。」
「熊?でも、熊は人を襲わないでしょ?優しいもの。」
イツキが訊いた。
「ああ、熊は人は襲わない。だが、その熊は手傷を追っていたんだ。どこかで喧嘩をしたのか、あるいは、ほかの村人が傷を負わせたか・・とても興奮していた。そして、畑に向かっていた娘たちを襲いそうだったんだ。お前の父様は、何とか止めようとして、熊に矢を放ち、見事に当たった。だが、すぐに父様のほうに向かって走ってきた。・・お前をおぶっていた父様は、西の谷へ降りた。熊はどんどん近づいてくる。父様はとっさにお前を大きな山桃の樹の高い枝に乗せてから、熊から守ろうとした。」
「父様はどうなったの?」
「山桃の樹から離すために、川へ入った。熊は追いかけて行って、父様に手をかけたんだ。娘たちが村に知らせに来てから、俺もすぐに行ったんだが・・もう駄目だった。」
イツキは、父の最期の様子を初めて聞かされ、驚いた様子で言葉が出なかった。その様子を見ていたナミが、
「イツキ、今日、実を摘んだ山桃の樹は、イツキの命を守ってくれた樹なのよ。そう、イツキの父様の代わりにね。だから、イツキの父様の樹なの。」
その言葉に、イツキが不意に涙が零れはじめ、止まらなくなった。昼間、実を摘みながら、どこか懐かしく、温かな気持ちになれたのを思い出して、さらに泣いた。ナミはイツキを抱きしめながら、
「今日、そこに行ったのは、きっと父様がお前に会いたいと思っていたからじゃないかしらね。時々、会いに行くといいわ。」
その様子を眺めていたカケルが、
「そうだ。今度、母様も一緒に行こう。父様と僕は魚を獲る。母様とイツキは山桃の実を摘んで来よう。」
「そうね。そうしましょう。・・ほら、カケル!串を打ったから、やぐらのところへ持っていきなさい。もう、宴の仕度もほとんど済んでいるだろうから。・・それとこれも一緒に・・」
母ナミは、黍で作った団子を盛った皿をカケルに渡した。
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-ナレの村-3.篝火 [アスカケ第1部 高千穂峰]

村の真ん中の広場には、大きな篝火が焚かれていた。夕日が沈み、辺り一面、夜の闇が広がり始めていて、篝火の明かりが村中を照らしていた。
それぞれの家々から、男も女も手に手に食べ物を抱えて、篝火の周りに集まり始めていた。

儀式の合図の銅鐸が打ち鳴らされた。
今宵は、アスカケの道へ旅立つ若者の、旅の無事を祈る儀式が開かれるのだった。

巫女の「セイ」が、紅花で染めた衣を纏い、勾玉の首輪を幾重にも飾りつけ、頭には鷹の羽で飾った冠のいでたちで、ゆっくりと高楼に姿を現わした。
すぐ、後ろに、村の長老「テイシ」が続く。テイシも同じようないでたちだった。そして、少し離れて、アスカケに出る若者「ケスキ」が続いた。
ケスキは今年で15になる。この村で生まれ、この村で育った。ケスキは父に似て筋骨隆々の大男だった。村の命たちにも、力自慢では負けないほどだった。

村の者たちは、篝火の周りに座り、高楼を見上げ、静まった。

セイは、いにしえより伝わる、祈りの言葉を唸りながら、高楼に設えられた神台に高く積まれた「ゆずり葉」を手に取ると四方に撒き始めた。そして、ケスキの前に行くと、勾玉の首飾りをひとつ外すと、ケスキの首にかけてから、ケスキの額に紅を使って、一族の証の印を付けた。
 
一通りの祈りの儀式が終わると、長老のテイシが高楼から下に向かって声を出した。

「明日朝、ケスキはアスカケへ出る。今宵は、皆で命の息を分けてやってくれ。」
その声を合図に、篝火の脇に置かれた打木を男たちが叩き始める。笛の音が響き、その音色に乗せて、女たちが舞う。そして、それぞれに持ち寄ったご馳走に手をつける。長老から順番に濁酒が酌み交わされる。男も女も、皆、次々にケスキの隣に座り、声を掛け背を叩く。これが、長老の言った「命の息を吹き込む」風習であった。

若い娘たちは、透き通るほど薄く織られた絹の衣を首から肩へ掛け、優雅に舞う。次第に、笛の音が大きく響き、男たちも混ざって、にぎやかな踊りへと変わっていく。そのうち、踊りつかれた娘が、カケルたちの座っているところにやってきた。そして、イツキに手を伸ばし、踊りに誘った。イツキは、戸惑っていた養子だったが、ナミが、こう言った。
「行っておいで。イツキの母様も、踊りが上手だったから。きっとイツキもうまく踊れるはずよ。さあ。」
イツキは、その言葉ににこりと頷き、娘から羽衣を掛けられ、踊りの輪の中へ入っていった。
篝火に照らされたイツキは、ナミが言ったとおりに、娘たちの中でも負けないほどに、美しく踊った。カケルもつられて踊りの輪の中へ入っていった。
にぎやかな宴は続いていた。皆、濁酒を酌み交わし、踊り、歌い、それぞれに入れ替わり、ケスキの傍に来て声を掛けていた。
その宴の脇で、じっとケスキの様子を見つめ、涙を零す娘がいた。ナミが静かに近寄り、隣に座った。
「大丈夫よ、きっと戻ってくるわ。」
娘はこくりと頷き、ナミにもたれかかるようにして声を殺して泣いた。
「ケスキは、この村でやりたいことがあるんでしょ?だからきっと戻ってくる。」
娘は、ナミの胸に顔を埋めたまま、小さく言った。
「・・海に出るって・・・ケスキの父様も命を落としかけたって・・」
「でも、ちゃんと村に戻ってきたでしょう。貴方もケスキを信じて待っていましょう。」

アスカケに出る青年に恋心を抱く娘。村に戻る青年にその事を伝えてはならないのが、村の女たちの掟になっていた。アスカケへ出かける青年が、自分の生きる道を定めるための過酷な旅を途中で挫折しないための女たちの精一杯の思いなのであった。

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-ナレの村-4.ナギのアスカケ [アスカケ第1部 高千穂峰]

4.ナギのアスカケ
「ねえ、アスカケって何?」
踊り疲れ、父母の元へ戻ったイツキは、昼間に摘んできた山桃の実を摘まみながら言った。カケルは、黍団子を何個か口に入れて、自分も確かな事を知らないのを誤魔化すようにもごもごと答えた。
脇で、濁酒の入った竹筒を口に運びながら、ほろ酔い気味の父ナギが答えた。
「アスカケは、自分を見つけるための旅だよ。」
父の言葉の意味は6歳の子どもには充分に理解できず、カケルもイツキも顔を見合わせた。
アスカケの道とは、村を出て、九重の山々を超え、まだ見ぬ世界で自らの生きる意味を問う旅であり、その終着点は自ら決める。村を出て、短い期間で村に戻ってもよし、一生放浪を続けてもよし、ただ、ひとつ、自らの生きる意味を見つける事とされている。
これまで、アスカケの道に旅立った男の半数は村に戻り、村のために自らの生きる意味を心に留め、ひたすらに生きている。半数は行方知れずだが、アスカケから戻った男からの話で、消息のわかるものも居た。村に戻った男はほとんどが村の外から嫁を連れて帰ってくる。
そう、アスカケの道は、外の世界との交流の乏しい高千穂の山間の村にとって、血が濃くならないための自衛の手段でもあった。また、外界の情報を得て、時代を進める力にもなっているのであった。そして、この時代、九重の国の村々にはみな同じような掟があった。
「父(とと)様の、アスカケはどんなだったの?」
カケルは、自分で獲ってきたヤマメの串焼きを手にしながら訊いた。隣にいたイツキも興味深げな顔でナギを見た。ナギは、もう一口、濁酒を飲むと、篝火をぼんやり見つめながら話し始めた。
「俺のアスカケは、御山を越え、九重の山を目指した道だった。御山を越えると、もっと大きな山が連なっていた。見えるものはすべて深い森。そこを何日も何日も歩いた。いよいよ疲れ果て、もう歩けないと思った先に、ウスキという村があった。」
「そこはどんなところだったの?」
カケルは、食べるのを止め、じっと父ナギの顔を見ている。イツキもカケルの横で同じようにナギの顔を見ていた。
「そこは・・・ナレとよく似た村だが・・ここよりも小さく、暮らしは厳しい。俺が辿り付いた時は冬。ここより寒さが厳しくて、凍えるようだった。だが、皆、優しかった。・・おお、そうだ、そうだ。その村には、深い深い底なしの淵があった。その淵には、大きな主がいた。村のものは、毎朝、淵でお祈りをし、主を宥めてから、魚を獲らせてもらっていたんだ。」
「とと様も獲った?」
「いや、淵に入れるのは選ばれたものだけだった。俺は、その村の長老に世話になった。村の中でいろんな仕事をした。そして、縄を編む事を教えてもらった。・・それが俺のアスカケだと決めたんだ。」
「縄を編む事がとと様のアスカケ?」
「ああ・・ナレの村も谷が深い。お前たちが獲物を取りにいくとしても、深い谷を降り、また登り、時には谷底に落ちる事もある。・・ウスキの村も同じだった。だから、強い強い縄を作り、谷に縄橋を掛ければ皆安心して獲物を獲りにいけるだろう。」
「じゃあ、西の谷の橋もとと様が掛けたの?」
「ああ、そうだ。あそこだけじゃない。御山へ向かう道にもいくつか作った。もっともっと作って村の人が楽に行けるようにしたいんだ。」
「ふーん。」
カケルとイツキは、感心したようにナギの顔を見ていた。
「それとなあ・・かか様に出会ったのも、そのウスキの村だったんだ。」
「え?かか様は、ウスキの村にいたの?」
カケルは初めて聞いた話に驚き、脇に座っていた、母ナミの顔を見た。ナミはにっこりと微笑んでからゆっくりと口を開いた。
「ええ、そうよ。ナギ様は、とても疲れていてね、しばらく動けなくなっていて、私が介抱したのよ。・・元気になるまでの間、毎日のように、ナレの村の話を聞いていたわ。」
「それで?」
「ナギ様は元気になって、ウスキの村で一生懸命仕事をしたわ。壊れた家を直したり、堀を大きくしたり、田んぼも作ってくれた。村の人は皆、ナギ様を信頼した。私のとと様もすっかり気に入って、二人が一緒になる事を許してくださったのよ。ナギ様が縄編みを覚えた頃、二人で一緒にナレの村に戻ってきたのよ。」
「へえ・・そうだったの。ウスキの村かあ・・僕もいつか行ってみたいなあ。」
「そうね、じじ様やばば様に会えると良いわね。」
夜の闇空に、篝火が赤々と燃え、夜は更けていった。
旅立ちの儀式と祝いの宴も終わり、それぞれ皆家に戻って行った。
カケルは、寝床に入ってからも、父や母に聞いた話を思い出し、胸の中が妙に高鳴るのを抑え切れなくてなかなか寝付けなかった。頭の中に、まだ見ぬ高千穂の峰からの風景や、その先に続く九重の山々、そして、その中にひっそりと存在するウスキの村。紺碧に輝く底なしの淵とそこに住む大きな主。いつしか、カケルは夢の中で、その主にまたがり、淵の中を泳ぎまわっていたのだった。

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-ナレの村-5.ケスキの旅立ち [アスカケ第1部 高千穂峰]

5. ケスキの旅立ち
翌朝、日の出とともに、皆起きだしてきて、ケスキの旅立ちを見送った。ケスキは、真新しい服と毛皮を身にまとい、片手には、銛を持ち、腰には剣を挿し、背中には、わずかな食糧を布に包んで背負っていた。ケスキの父「シシト」と母「モヨ」がじっと見守っていた。ケスキは、村の出口の門の前に立ち、村の皆のほうを見渡してから、大きな声でこう言った。
「俺は、必ず帰ってくる。自分のアスカケを見つけ、必ず戻る。皆、元気でなあ。」
そして、くるっと向きを変え、走り去るように門を出た。カケルとイツキは、門にすがりついて、その様子を見ていた。
門の前から、南へ谷を降りていく細い道が一本続いている。ケスキは、下り道を飛び跳ねるように降りていく。徐々に、足音も遠ざかり、静かになっていった。

「ねえ、ケスキはどこに行ったの?」
イツキが、傍にいたカケルに訊いた。
「・・うん・・南に行くって言ってたよ。南には煙を吐く御山があるんだって。その先には、淵より大きな <うみ> というのがあって、そこからまだ先に行けるんだって。」
「その先には何があるの?」
「そこから舟に乗って、どんどん行くと、海の中に <しま> というのがあるんだって・・」
「そこに何があるの?」
「さあ・・でも、ケスキは、そこに岩を割る人たちがいるって言ってた。自分も大きな岩を割れるようになるんだって・・そしたら、戻ってくるんだって。」
「どうして?」
「・・・ほら、東の尾根に大きな岩があるだろう。あれを割るんだって。そしたら、東の尾根にある畑にも行き易くなるだろ。あそこは、大きな畑が作れるから、もっとみんなの食べ物を作れるようになる。そのために岩を割る力を身に付けたいんだって。」
「ふーん。」

ナレの村は、東西に伸びる高千穂の峰の尾根に囲まれた小高い丘の中にある。30ほどの家族が暮らすには充分なのだが、畑地をもっと増やしたいと長年村の人は努力してきた。西の尾根はなだらかだがその先には深い谷がある。
東の尾根の先には、慣れの村よりも広い平地があるのだが、そこへの道は、尾根にのぞく大岩を登って越えるか、その下に作った狭い山道を通るほかなく、よほど足腰の丈夫な人間しか行く事ができなかったのだ。これまでにもそこを越えようとして何人かの村人が命を落としていた。その岩を割る事ができ、畑を広げる事ができるなら、村にとって大きな財産になる。

カケルとイツキの会話を聞いていたケスキの父「シシト」が呟くように言った。
「無事に戻って来れればいいが・・・」
ケスキの父シシトも、アスカケの道でケスキと同じように石を割る力を得ようとした。ケスキはその話を幼い頃から聞いていて、自分のアスカケでも、父と同じように石を割る力を得ようと考えたのだった。シシトも同じように南を目指して旅立った。しかし、煙を吹く御山にたどり着いた後、舟で更にその先へ進もうとしたが、海が荒れてその先へ進めなかったのだった。結局、シシトは、煙を吹く御山の近くの村で、畑を作る技を身につけ、ケスキの母となるモヨとともに村に戻ったのだった。
「ねえ、シシト様。海とはどんなものなんですか?」
カケルが訊いた。シシトは腰を落として、カケルと視線を合わせてから、
「カケルは海が見たいか?」
「うん、みてみたい。」
「そこはな・・淵よりも川よりもずっとずっと広い。舟で海に出ると、見えるものはもう海だけだ。青い空と青い海。風が吹くと、海は暴れる。舟が上に下に右に左に揺れて、自分を見失う。夜になると何も見えなくなって、自分さえ闇に飲み込まれてしまうのではないかと怖くなる。・・・とにかく大きくて深くて、飲み込まれれば命はない。怖い怖いものだよ。」
カケルは、シシトの話にぶるっと身を震わせた。この村には怖いものなどないが、シシトの話に聞いた海はとてつもなく恐ろしいものに思えたのだった。その様子に、シシトは少しにやりと笑ってから、
「そんなに恐れる事はない。丈夫な体があれば、海に飲み込まれても大丈夫さ。俺だって一度海に飲み込まれたが、こうやって生きている。・・カケル、海が見たいならもっともっと体を鍛えるんだ。そうすれば大丈夫さ。」
そう言って、カケルを抱えあげると、隣にいたイツキも片方の肩に乗せて、村の中に戻って行った。

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-ナレの村-6.鷹 ハヤテ [アスカケ第1部 高千穂峰]

6.鷹 ハヤテ
 森で見つけた怪我をした鷹は、父ナギが、折れた翼に添え木をして手当てをした。鷹は、父ナギの手にいるときは、まったく暴れることなく、おとなしかった。
カケルは、母ナミから竹を使って鳥篭をこしらえる事を教わり、一日かけて、丁寧に作った。
「鷹は肉と魚が餌になる。しばらく、カケルは鷹の餌集めをしなさい。」
父ナギに言われ、カケルはしばらくの間、餌取りに励んだ。
魚は、西の谷の淵に行けば、いくらでも獲れた。鷹に魚をやると、器用に足で掴み、啄ばんだ。
だが、肉となる動物には困った。村でも、男たち総がかりで、イノシシやウサギ等の猟に行くのだが、獲れないことも多く、鷹の餌の為に肉を分けてもらうなどできなかった。
しばらくの間は、そのまま、魚の餌を与えていたが、次第に食べなくなり、元気がなくなってきたのがわかった。

「父様、ハヤテに肉の餌をやらないとだめかな。」
竹籠の中の止まり木にとまっている鷹を見つめながら、カケルがぼんやりとした表情で呟く。
「ハヤテ?・・こいつの名か。・・・なんだ、獲物が取れないのか?」
「・・・う・・ん。・・・」
「お前、サチ(弓矢)は使ったことはあるか?」
「・・ううん、ない。・・・。」
「鷹の餌になるものは、畑を荒らす野ねずみやウサギだ。サチ(弓矢)があれば、捕まえる事もできよう。」
「・・でも・・サチ(弓矢)は持ってない。父様のは使えないんでしょ。」
「ああ、あれは、命(みこと)の分身だからな。そうか、それなら、サチ(弓矢)をこしらえるか。そろそろ、自分のものを持つころだろう。さあ。」
ナギはそういうと、カケルと一緒に、家の前に出た。二人は、弓を作るために、タカヒコの家に行った。タカヒコは、3人息子の父で、村一番の弓の名手だった。
「タカヒコ、サチを作ってもらえまいか・・」
家の前で、矢の手入れをしていたタカヒコは快く引き受けてくれた。タカヒコは、カケルの肩を掴んでから、
「うむ。・・お前、いくつになった?」
「八つになりました。」
「そうか・・その割りに力があるようだ。お前には強い弓を作ってやる。強く、遠く、大きな獲物も貫ける強い弓だ。最初は、引けないかも知れぬが、そのうちに引けるようになる。まあ、任せとけ。・・・そこにある櫨の木を取ってくれ。」
タカヒコはそういうと、家の前に立てかけてある弓にする木の束を示した。
「いいか・・できるだけ太くてまっすぐしたものを選べ。」
カケルはその中から白くまっすぐ伸びているものを選んで渡した。
「おお、良いのを選んだな。そうだ、これなら丈夫だ。いいか、お前が使いたいものを見極めるんだぞ。」
そう言って、タカヒコは、カケルに削り方を教え始めた。その様子を見ながら、ナギが、
「よし。俺が弦を用意しよう。タカヒコ、命(みこと)が使う太い弦で良いな。」
「ああ。カケルなら必ず使いこなせるだろう。」
何とか形になったところで、弦を張った。
「よし、次は矢だ。三本作るんだ。鏃(やじり)は、黒石で良いだろう。ひとつ削ってあるから、よくよく見て、あと二つ自分で作るんだ。・・それと、矢羽には鷹の羽が良い。お前が飼っている鷹からもらおう。尾羽を1本抜いて来い。」
そう言われて、カケルは竹籠に走った。竹籠の中に手を入れ、カケルは尾羽を抜こうとした。鷹はじっとカケルを見ていた。
「ハヤテ、すまない。羽を分けてくれ。」
カケルがそう言うと、承知したかのようにハヤテは尾をカケルに向けた。
尾羽を持っていくと、タカヒコは見事に半分に割り、矢の尻に埋め込んでいった。

「よし、いいサチができた。これなら永く使える。お前が大人になっても充分だ。」
タカヒコはそういうと、カケルに手渡してくれた。初めての自分のサチ(弓矢)を手にして、カケルは手が震えた。そして、体の中に何か熱くなるものを感じ、鼓動が高鳴った。
「どうした?さあ、引いてみろ。」
タカヒコとナギが微笑んでみている。カケルは大人たちが弓を引く姿を思い出しながら、左手に弓を持ち、矢を指に挟んで弦に合わせた。そして、力いっぱい引いた。ぐいっと弓は撓る。そして、矢の先を、柵の方へ向けて放った。びゅうと音を立てて、勢いよく矢が飛んでいく。すると、柵に吊るしてあった干し肉を矢は貫通した。

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-ナレの村-7.サチ(箭霊)封印 [アスカケ第1部 高千穂峰]

7.サチ(箭霊)封印
タカヒコもナギも驚いた。初めて弓を引いたはずなのに、カケルの放った矢は、驚くほどの威力で大人でもなかなか射抜く事が難しい干し肉を見事に貫通した。
「もう一度引いてみろ。」
タカヒコは驚きを隠せずに言った。カケルは同じように構え、引いた。また同じように、干し肉に刺さった。
「よし、もう一度、干し肉を狙って見ろ。」
今度はナギが言った。同じように構え、更に力をこめて弓を引き放った。三本目の矢は、大人でもなかなか出せない笛のような高い音を立てて飛んで、干し肉の、それもさっきの矢を貫くように刺さった。

タカヒコとナギは顔を見合わせた。信じられない気持ちだった。まだ八つの子どもの放つ矢ではなかったのだ。そこに、高楼の上から様子を見ていた巫女セイが現れた。
「セイ様・・カケルのサチ(箭霊・弓矢)の腕前が・・」
ナギがそう言い掛けたのをセイは制止するように手をかざした。そして、
「この子のサチ(弓矢)は、封印すべし。」
厳しい声でそう告げた。
「ですが・・・セイ様、これだけの腕前なら、すぐにでも猟に連れて行けます。村の者も、ひもじい思いもせずに済むやも知れませぬ。」
ナギは、そう言ったが、巫女セイは首を横に振った。
「どうやら、カケルは幼いながら、恐ろしい力を持っておるようじゃ。使い道を誤るといのちを落とす事になる。いや、この村に災いとなるであろう。・・良いか、この子がアスカケに出る日まで、サチ(弓矢)は封印じゃ。・・カケル、良いな。このサチ(弓矢)は私が預かる。十五になる年にお前がアスカケに出るのなら、その時に返そう。」
そう言うと、カケルの手からサチ(弓矢)を取り上げた。
「セイ様!・・ハヤテの餌を獲るために、サチ(弓矢)が欲しいんです。」
カケルはそう言って、巫女セイに取り縋った。
「あの鷹は、すでに飛べるようになっておる。竹籠から出してやれば、自分で餌を獲る。さあ、竹籠から出したおやり。」

カケルは、巫女セイに言われるまま、竹籠を開けた。
羽の添え木をそっと取ってやると、ハヤテは、しばらくは、止まり木にじっとしていたが、辺りをじっと見渡し、一度身震いをしたと思うと、羽を広げ一瞬のうちに飛び上がっていった。村の上を3回ほど回った後、高千穂の峰のほうへ飛び去っていった。

カケルのサチ(箭霊)の腕前は、すぐに村人の知るところとなった。初めて引いた矢が肉を貫通するなど、並みの男でもできる事ではない。巫女セイが封印した事で、それは、さらに、村の伝説というべきものに変わってしまった。

次の日、カケルは、いつものように西の谷に行き、銛を使って魚取りをしていた。
上空にハヤテが旋回している。カケルが水から顔を出すと、ハヤテは上空から急速度で降下し、水面すれすれに飛んできた。カケルに挨拶でもするかのような飛び方だった。二度ほど繰り返したあと、今度は水面を泳いでいた魚を足で掴んで飛び上がり、岸に魚を落としたのだった。
岸にいたイツキが言った。
「ハヤテがお礼に魚をくれたのかなあ。」
「そんなことはないだろ。上手く掴めなくて落としちゃったんだろ?」
しかし、同じようにもう一度ハヤテは魚を掴むと二人のいる岸辺に落としたのだった。
「ほら、やっぱり、そうよ。・・・カケルが手当てをしてくれた御礼をしてるのよ。」
「そうかあ・・ありがとう、ハヤテ。」
カケルは、上空を旋回しているハヤテに手を振った。ハヤテは甲高い鳴き声で答え、飛び去っていった。

「でも、せっかく、サチが上手いのに使えないなんてね・・」
イツキがつい口走ってしまった。カケルは、
「いいんだ。僕もちょっと怖かったんだ。サチを持った時、ここがドキドキして苦しかったんだ。なんだか変な気持ちだった。それに、やっぱり、こうやって魚を獲るほうが楽しいし・・」
「そうなの?ならいいわ。でも、私も見たかったなあ、カケルのサチを射るところ。」
イツキはそう言うと、山桃の木にするすると登っていった。

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-ナレの村-8.水足(みたり)の御川 [アスカケ第1部 高千穂峰]

8.水足(みたり)の御川
ケスキがアスカケに旅立ってから、夏が過ぎ、秋、冬、そしてまた春になっていた。
カケルもイツキも、少し大きくなった。以前のように、畑の手伝いや川で魚とり、木の実集め等をしながら過ごしていたが、徐々に大人の仕事の手伝いが増えるようになっていた。
カケルは、時々、男たちに混じって、山の猟にも付いていくようになった。
イツキは、冬の間に、機織りを覚え、天気の悪い時などはずっと篭って過ごすようにもなっていた。
ナレの村の西側には、谷に向かって流れ落ちるように、幅2間ほどの水路がある。もともと、小さな川だったところを、先人たちが川幅を広げ、田畑のあるところまで水を引くために水路にしたのだった。
この川は不思議な事に、1年のうち、半年近くは枯れている。春、辺りの草が花を咲かせ、緑が濃くなる頃に突然水を噴出し、秋、収穫を終え冬支度に入る頃にはまた枯れてしまうのだった。だから、村の者は、「水足り(みたり)の御川(おんかわ)」と呼んだ。この川に水が噴き出す頃、農作物の植え付けを始め、枯れる頃には、厳しい冬に向け蓄えをしていく。暦のような川であった。

今日は、朝から村を上げて水路の掃除をすることになった。昨夜、巫女セイが、水神様のお告げを聞いたと言い、村の命(みこと)達が集まって相談し、水路の掃除と祈りをする事に決まったのだった。
子どもたちも、大人に混じって水路に入り、川底のごろ石をどけたり、伸びた草を刈ったり、土手を修復したりしながら、汗を流した。水路の両脇には、ノカイドウや山つつじの花が咲き始めていた。
しばらくは、大人に混じって手伝いをしていた子どもたちも、エン・セン・ケンの3兄弟が、木登りを始めたのをきっかけに、水路の掃除をやめてしまい、土手に上がって遊んでいた。
エン・セン・ケンの3兄弟はみな年子で、一番上のエンはカケルと同い年だった。長男のエンが、野いちごを見つけた。兄弟は競うように野いちごを摘み食べた。知らぬうちに、森の中にはいっていた。
ナレの村の周りの森は、子どもたちが遊ぶのを禁じていた。太古、高千穂峰が噴火した後、溶岩の流れた跡が大きな空洞となっていて、森の中にはそこかしこに深い穴が口を開けていたからだった。そこに落ちれば、子どもでは、這い上がる事は不可能だった。3人はその掟をすっかり忘れ、ずんずんと森の中に入っている。次男のセンが、ふと気づいて兄に、
「ねえ、兄ちゃん、もう戻ろう。森は入っちゃならないって父様も言ってたし・・。」
その言葉に、エンは、
「大丈夫さ。まだ、みたりの御川が見える。すぐそこにあるじゃないか。」
そう言って、振り返って指差した。確かに、木々の間から、みたりの御川がわずかに見えていた。しかし、
「おい!ケンはどこだ?」
辺りを見回したが、末っ子のケンの姿が見えない。
「え?さっきまでそこでイチゴを食べてたけど・・・」
二人は、ケンの名を呼んだ。どこか遠くからかすかに返事の声が聞こえる。二人は、その声のするほうへ急いだ。しかし、辺りには姿が見えない。じっと耳を澄ますと、その声は地中から聞こえていた。草の茂る中を手探りで声を頼りに探した。すると、体がすっぽりと入るほどの大穴の底の方から声がする。ケンは、穴の中へ落ちてしまったのだった。エンとセンは、穴の中に顔を突っ込んで様子を見ようとした。だが、穴の中は真っ暗で、ひんやりとした風が抜けてくるだけだった。
「ケン、すぐ、父様を呼びに行け。判るだろ、ほら、そこに御川がある。あそこに出て、下っていけば父様がいるはずだ。」
そう言われて、ケンはすぐに走り出した。
土手にはイツキとカケルがいた。川の土手に生えていた野いちごを摘んでいた。血相を変えて飛び出してきたケンを見て、イツキが訊いた。
「どうしたの?」
「センが・・森の中で・・穴に落ちた・・父様を呼びにいく。父様は?」
「皆、祠に向かったわ。もうじきお祈りを始めるからって・・。」
祠は、みたりの御川の水が噴出す水穴にあった。掃除を終えて、村人たちは、奉げ物を持って祠に向かったのだった。
「私が行ってくる。場所を知ってるのはケンだけだから、ここで待ってて。」
イツキは、水の流れていない御川を上流に走っていった。
カケルは、じっと森の中を見ていた。カケルは、人並みはずれた聴力と視力を持っていた。岸に生えている欅の幹に登り、辺りを見回し、すぐに、穴の場所を見つけると、枝から大きく飛び上がり、木々を縫うようにして、森の中へ入っていった。

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-ナレの村-9.地下の洞 [アスカケ第1部 高千穂峰]

9. 地下の洞
穴の脇では、エンが必死に声を掛けていた。
「今、父様を呼びに行ったから・・待ってるんだぞ!」
暗闇の中で、センは半べそをかいていた。その内、何か穴の中で音がし始めた。その音はゴーゴーと響いて聞こえる。
「兄ちゃん、なんか聞こえる。怖いよう・・・。」
そこにカケルがやってきた。
「エン!ケンは?」
「この中だよ。何か音がするって・・・どうしよう、何か魔物でもいるのかな?」
カケルは地面に耳をつけて音の正体を考えていた。まだ9歳の子どもにその正体がわかるはずもなかったが、じっと耳とつけて音の様子を探った。
「何か、近づいてきてるみたいだ。・・・」
「掟を破って・・森に入ったから・・森の神様が怒ってるのかなあ・・・」
穴の中から、ケンが、弱弱しい声で言った。
「兄ちゃん・・・冷たいよう・・・水が・・・冷たいよう・・・」
地中の空洞に、水が入って来たようだった。
「エン!僕の足を持ってて。頭を入れてみる。」
そう言われ、エンはカケルの足を持った。カケルは穴の中に体を入れて中を覗いてみた。最初は、真っ暗で何も見えなかったが、徐々に目が慣れると様子がわかってきた。ケンは、穴の底に立っていた。膝辺りまで水に浸かっている。手を伸ばしてみると、あとわずかで届きそうだった。その時だった。
「うわっ!」
エンが耐えかねてカケルの足を離してしまったのだった。カケルは頭から真っ逆さまに穴の中に落ちたのだった。カケルは起き上がり、ケンの手を取った。
「ここにいちゃ駄目だ。もうじき、水がたくさん来る。逃げよう。」
カケルはそういうと、耳を澄まして音のする方向を定めた。そして、それとは反対の方向にケンの手を取って、駆け出した。ケンは真っ暗闇で何も見えなかったが、カケルには穴の様子がちゃんと見えていた。
二人は必死で走った。途中、ケンは何度も転びそうになりながら、その度に、カケルに起こされた。しかし、足元の水嵩は増えるばかりだった。腰辺りから肩口くらいまで水はどんどん嵩を増した。もうほとんど泳ぐような格好になっていた。

イツキは祠に着き、ケンたちの父タカヒコに事情を説明した。それを聞いたカケルの父ナギも心配して、タカヒコとともに穴に向かった。穴に着くと、エンとセンが穴の脇にいた。父タカヒコの顔を見るなり、二人は大声で泣いた。
「カケルも・・・落ちた。・・水がたくさん来て流された・・・ごめんなさい・・ごめんなさい。」
泣きじゃくりながら、説明した。タカヒコは、二人を抱きしめた。そして穴を覗きこんだ。
「随分、水が入ってきているな。二人とも流されたか。」
カケルの父ナギは、じっと考えた。そして、皆にこう言った。
「よし、祠に戻るぞ。・・大丈夫だ。カケルが一緒なら、きっと大丈夫だ。」
地下の洞の中で、カケルとケンはもうほとんど肩口まで水に浸かり息をするのもやっとの状態だった。ケンは暗闇の中で何も見えず、カケルの腰紐を強く握っていた。二人の足元を何かがすりぬけて行った。カケルは水面に顔をつけてみた。少し前方に、金色に輝くような大きな鯉が泳いでいる。暗闇の中でもそれは輝いていた。そして、着いて来いというようにゆったりと泳いでいる。
「ケン、もう少しだ。すぐに出口だ。」
「そうかい?・・まさか、黄泉の入り口じゃないだろうねえ。」
「黄泉?」
「ああ、お婆様(おばば様)から聞いたんだ。土の底に、黄泉の入り口がある。そこに子どもが入っちゃならないって・・。」
「大丈夫だ。きっと水神様が守ってくれる。さあ行こう。」
そう言うやいなや、背中を押されるように流れが強くなった。いや、流れが強いのではなく、小魚の群れが背中を押しているのだ。
「あっ!」
「わあっ!」
二人は急に深みに落ちた。洞が急に狭まり。地中深くに落ち込んでいたのだった。もう、どちらが上か下かわからない状態で、水流に流された。だが、二人の周りには小魚たちがまとわりついて岩にぶつかるのを防いでくれていた。カケルは、水流の中で確かに魚たちが自分たちを取り囲み、守ってくれているのを見たのだった。一旦、落ち込んだあと、急に上昇し始めた。そして、明かりが近づいてきたような気がした。

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-ナレの村-10.水柱 [アスカケ第1部 高千穂峰]

10.水柱
ナギとタカヒコ、そして子どもたちが祠に戻ってくると、村人は皆心配顔をして待っていた。

祠の脇には、深くて大きな水穴があった。水神様を祭るため、ナギの作った注連縄(しめなわ)が穴の周りに取り付けられていた。
穴の脇には巫女セイが座り、詔を奉げていた。ひときわ大きな声になった時だった。

水穴の奥からごぼごぼという音が響いてきた。そして、すさまじい轟音とともに、冷たい水柱が立ち上がった。徐々に水柱が小さくなり、水穴はすぐに満水になり、みたりの御川に清らかな水が満たされ始めた。
じっとその様子を見ていた村人たちも、水柱が作った滴に一気に包まれてしまった。辺り一面、水浸しになっていた。

「あ・・あそこに、カケルとケンが!」
辺りが静かになった時、イツキが気づいて指差した。村人みな、指差す方を見ると、注連縄(しめなわ)に二人がぶら下がっていたのだった。
急いで駆け寄り、二人を助け、岸辺に寝かせた。噴き出す水の流れに巻き込まれたにも関わらず、二人ともすぐに気がついた。そして、ケンが何事もなかったかのように、みたりの御川を見て、こう言った。
「カケル!カケル!・・魚がいっぱいだよ。やったよ!」
余りにも無邪気に魚が跳ねる姿を喜ぶケンに、みな安堵したと同時に、おかしくて笑い出してしまった。

「洞の中で、金色に輝く大きな魚を見たんだ!」
カケルは興奮気味にそう言った。巫女セイが、答える様に言った。
「それは、この川のぬしであろう。先代の巫女も、この祠で祝詞を上げていた時、水穴が輝くのを見ておる。」
「僕は、その魚についていったんだ。そしたら、小魚たちが周りにたくさん集まってきて、そのまま一緒に流されちゃったんだよ。きっと、魚たちが僕たちを運んでくれたんだね。」
清らかな流れは徐々に川下に流れていった。そして、畑に引いた水路にも流れ込んできた。村人たちは、畑に水を引くために戻って行った。
巫女セイと子どもたちは、川の畔に立ち、清流を眺めていた。
「よいか、子どもらよ。・・ここの魚は、お前たちの命を救ってくれた、水神様の使いじゃ。・・くれぐれも、この川を汚したり、この川に入って魚を取ったりするでないぞ。もし、お前たちがこの川の魚を取ろうものなら、川の水が枯れ、田畑も枯れてしまうじゃろう。良いな。」
子どもらは皆こくりとうなづいた。
そして、イツキが訊ねた。
「ねえ、セイ様。この魚たちはどこにいたの?」
「きっと、カケルたちが落ちた穴の奥の奥・・・きっと、あの御山の中に大きな大きなお池があるのじゃ。寒い冬にはそこにじっとしておって、温かくなるとこうして外に出てくるんじゃな。」
「ねえ、そこにセイ様は行ったことがあるの?」
「いや、ない。そこは・・・」
巫女セイは少し答えに困っていた。すると、ケンが横から口を挟んだ。
「おら、知ってるぞ。・・おらの・・おばば様が言ってた。・・この地面の深い深いところに、黄泉というところがあって、いつかはそこに行かなくちゃいけないんだって・・・きっとそこにお池もあるんだよ。」
「何よ、黄泉って?・・ねえ、セイ様、皆、そこに行くの?私、ずっとここに居たいよ。」
イツキは知らない事を自分より小さいケンの口から聞いて少し怒って言った。
「・・ほう、そうか・・黄泉の国のことを知っておったか。・・そうじゃ、いつかは皆そこへ行く。だが、それは、この身が滅びる時じゃ。こうして息をし、食べ、歩き、話をし、毎日毎日祈りを奉げているうちには行けない。そして、一度行ったらもう戻れないんじゃな。」
「死んじゃうと行くところ?私の父様も母様もそこにいるの?」
イツキが訊く。
「ああ、そうじゃな。だが、イツキの父様も母様も、掟を守り毎日毎日しっかり生きた。そうやってちゃんと生きていた者は、またどこかで生まれ変わる事ができるそうじゃ。」
「そうか・・」
「だがな・・・掟を破り、森へ勝手に入ると、黄泉の国への入口がぽかんと口を開けて待っておる。このたびは、なんとか水神様がお救い下されたが・・次は、黄泉の国へまっすぐ連れて行かれるぞ。良いな。」
「はい。」
子どもたちは神妙な顔で返事をし、川の対岸に広がる深い高千穂の森をじっと見ていた。

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