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1-1 難波高津の港 [アスカケ第5部大和へ]

1. 難波津の港

この時代、海は現代よりも随分水位が高かった。 瀬戸内海ははるか内陸部まで入り込んでいて、難波(現在の大阪)は全て、海の中にあり、大和(奈良)の入り口にまで海が続いていた。 大和川と淀川が上流から運んで来た砂を、瀬戸の潮流が堆積し、現在の大阪城がある辺りにまで、半島状の陸地を形成していた。難波津はその半島の先端近くにあった。そして、それは徐々に北へ伸び、ついに、淀川・大和川の流れを堰き止めて、半島の北側に大きな「河内湖(草香江)」を作っていた。塩水だった河内湖は、徐々に淡水に変わり、まだ、水が少ない頃には周辺に大きな農地も広がり集落も形成されていたが、推移が上がるにつれて、農地を失い、厳しい環境へと変わっていた。

難波津の港には、いくつもの桟橋が伸び、大きな船がいくつも停まっている。そして、そこから少し上がった辺りには、大きな倉も立ち並んでいる。
そして、何処を見ても、多くの人夫が忙しそうに荷物を運んでいる。
港に数多く並ぶ倉の前には、西海や東国の品が並んでいて、取引が盛んに行なわれていた。
派手な着物を羽織っている女の姿もあちこちにあった。
船から降ろした荷物を倉に運んでいる者も居れば、倉から運び出した荷物を大きな荷車に積み、なだらかな丘を登っていく者もいた。どうやら、丘の向こうにも何かがあるようだった。
カケルもアスカも、見たことも無い多くの人が集まり、様々な服装、様々な品に目を奪われてしまった。
「いったい、どれほどの人が集まっているのでしょう。」
アスカは、余りの人の多さに少し気後れした様子で、カケルの手を強く握り、身を寄せて訊いた。
「ああ・・驚くほど人が居る。・・九重に住む者が、皆、ここへ集まったようだな。」
カケルとアスカは、立ち並ぶ倉の前を、ゆっくりと歩きながら、大和の様子を聞くことができないか思案していた。
倉の前で働く男たちは、カケルとアスカが目の前を通ると、一度手を止め、何か訝しげな視線を送ってくる。そして、何かひそひそと話しては、時には睨みつけた。
二人が、一つの倉の前を通り過ぎようとした時、どこからか声が聞こえた。

「カケル様?・・もしや・・カケル様ではありませんか?」
声の主は、投間一族の長、イノクマであった。
イノクマは、倉の屋根の上に座り、里の様子を眺めていて、珍しい格好をして歩いてくる二人連れを見ていた。そして、それがカケルたちと判り、慌てて、屋根の上から飛び降りると、カケルたちのもとへ駆けて来た。
「イノクマ様、こんなところでお会いできるとは・・・・」
カケルの挨拶が終わる前に、イノクマは、カケルとアスカの腕を掴むと、辺りに視線を送ったのち、倉の中に引っ張って行った。
イノクマが引っ張って入った倉は、吉備国の持ち物のようだった。
中には、米や稗、粟、黍が天井に届くほどに積み上げてある。取引した品物なのか、布や農耕具、剣等も置かれていた。
イノクマは、積み上げた荷物の奥へ二人を連れて行った。
「一体、どうしたのです?イノクマ様。」
カケルの問いにイノクマは周囲に人が居ない事を確認してから言った。
「カケル様、良くご無事で。」
「ええ、明石のオオヒコ様が難波津への船を見つけていただけて・・」
「もうとっくに大和へ行かれているものと思っておりました。」
「明石で少し仕事を・・・」
イノクマは、カケルの話を制するように切り出した。
「カケル様は、到着されたばかりで、まだ、ご存じないから仕方ありませんが、港を無事に歩けたのは奇跡です。」
「いったい、どういうことです?・・怪しげな男たちの姿もありませんし、兵もおりません。」
イノクマはふっとため息をついてから、言った。
「つい、先日、兵を乗せた船が港に入り、人夫たちと小競り合いが起きたのです。もともと、難波津は、国々の荷を集め、大和へ送るための場所。それぞれの国の倉もあり、船を着ける場所も定まっております。そこへ、いきなり兵を乗せた船が現れ、勝手な振る舞いをしたのです。」
「兵を乗せた船というのは?」
「判りません。どうやら、ここより南、紀の国辺りから来たようでした。」
「不慣れで、兵達も疲れていたのではないのですか?」
「まあ・・だが、余りにも傍若無人な様子であったために、人夫たちは腹を立て、兵達に突っかかっていきました。その際、人夫が一人切られたました。兵達はすぐに船に引き上げ、港を離れました。」
「切られた人夫は?」
「あえなく、死にました。それでなくても、ここには兵を恨む者も少なくありません。東国の兵が里を襲った傷は、まだ残っておりますから。ですから、兵と判れば命を奪われても仕方ないのです。そんなところに、大きな剣を腰に付けたカケル様のお姿を見て、肝を冷やしました。」
イノクマの説明で、ようやく事態を理解したカケルとアスカだった。

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1-2 摂津比古 [アスカケ第5部大和へ]

2. 摂津比古
イノクマは、カケルとアスカを自分たちの宿に案内し、夕餉を伴にした。
「それにしても、ここでカケル様たちにお会いしようとは・・・あれから、何度か、鞆の浦から難波津を往復し、途中、明石にも立ち寄りました。カケル様たちが淵辺で水路を作られているという話を、港の者達も楽しげに話して聞かせてくれました。」
「そうですか・・・ええ・・・何とか、水路も出来ましたし、淵辺の里も蘇る目処も付きましたので、今朝、明石を発ちました。・・・ようやく、アスカとの約束を果たすことが出来そうです。」
「では、大和へ入られるおつもりですな?」
「ええ、ですが、戦がおきていると聞きました。」
カケルの曇った顔を見て、イノクマが言った。
「難波津の、摂津比古様に相談するのが良いでしょう。今や、ここ難波津こそ、都に相応しいと言う者が居るくらいです。どなたが皇君になられるか、摂津比古様の心次第とも聞きました。」
「それほどまでの力をお持ちなのですか?」
カケルは驚いた。
「はい。ここ難波津の荷が無ければ、都の暮らしも成り立ちませんゆえ、大和の豪族たちも、摂津比古様の機嫌を損ねる事はできぬのです。明日にも、摂津比古様のところへ使者を送りましょう。何か、お力になっていただけるはずです。」

翌朝、イノクマは、摂津比古のところへ使者を送った。しかし、摂津比古は不在との事であった。
「山背(やましろ)の地へ赴かれているようです。お戻りになるのはまだ先との事です。まあ、すぐにも会っていただける筈ですから、お帰りを待ちましょう。」
使者からの言葉を、イノクマはカケルたちに伝えた。
「摂津比古様の館はどこにあるのですか?」
カケルの問いに、イノクマは、指差して答えた。
「ほら、あそこ。あの高台に高楼が見えるでしょう。あそこが館です。」
指差す先には、松林が広がっていたが、その先には、高楼が見えた。
「私も一度だけ、挨拶に伺いました。・・いや・・驚くばかりの雅な館です。・・こここそが都だと噂されるに違わぬほどのものでした。何でも、海を越えてきた渡来人がすべて作ったとのことです。まるで夢の中に迷い込んだようでした。」

カケルとアスカは、摂津比古が戻るまでの間、イノクマを手伝い、港に留まる事になった。
難波津には毎日のように各地の産物を載せた船が着く。船が着くと、皆が手伝い、荷を下ろし、蔵へ運び込む。また、蔵から荷を運び出し、河内の海に浮かぶ船に載せ、大和へ送る。ここでは、どこの国の者かは関係なく、協力し合い、少しでも多くの荷を動かす事に熱心であった。
イノクマは、カケルとアスカは大事な客人だといって、仕事などしなくても良いと言ったが、カケルたちは、世話になる以上何か仕事をせねばと言い、人夫たちと一緒に過ごしていた。
カケルは、男達に混じり、荷物を運んだ。強靭な体のカケルは、人夫の誰よりも多くの荷を担ぎ、運んだ。人夫達はすぐにカケルを認め、誰もがカケルを頼るようになった。
アスカは、女達と伴に、食事の支度や身の回りの仕事をした。アスカは、初めて見る食材に戸惑いながらも、女達から熱心に料理を教わった。数日で、アスカは誰よりも手早く美味しい食事を作るようになった。

摂津比古が戻ったのは、カケル達が難波津に到着して、二十日ほど経ってからだった。
夕餉が終わる頃、摂津比古からの使者が、イノクマの宿に来た。
使者は、葦で作った大きな笠を被り、面をつけていて、黄色い衣服を纏っていた。
「頭領が、お会いしても良いと仰せです。明朝、お二人で館へお越し下さい。」
使者はそれだけを言うと、すぐに帰って行った。

翌朝、カケルとアスカは、イノクマが用意してくれた衣服を身につけ、摂津比古の館へ向かった。
摂津比古の館は、港を見下ろせる高台に建っていて、周囲をぐるりと石積みが囲んでいた。大門まで来ると、瀬戸の大海と、河内の中海の両方が見渡せた。行き来する船が全て手に取るようにわかる場所であった。
大門の門番に、面会の旨を告げると、館の中から、昨日の使者が姿を見せた。
昨夜と同じく、黄色い衣装に面をつけていた。その使者は、静かに頭を上げると、こちらへとばかり手を差し伸べ、二人を館の中へ案内した。
館の中は、見事な作りだった。大門を入るとすぐに、大きな回廊が屋敷を取り囲んでいる。回廊の中は、玉砂利が敷かれ、中央に、石畳が真っ直ぐに伸びている。その先には、大屋根をもつ館が建っている。建物は全て朱に塗られていた。館の後ろには三層の高楼も聳えている。
カケルとアスカは、見た事も無い作りの屋敷に圧倒されていた。
「こちらでお待ち下さい。」
先ほどの案内役が始めて言葉を発し、二人を広間に入れた。木板を貼りつめた床は、きれいに磨かれ、壁には、韓国のものと思われる壷や刀剣が飾られている。一段高いところに、玉座が二つ置かれていた。そして、玉座の前には、鹿の皮が何枚も敷かれている。
「お待たせしましたな。」
広間全体に響き渡る太い声とともに、金色の刺繍が施された派手な衣服を纏った、大柄な男が現れた。

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1-3 面会 [アスカケ第5部大和へ]

3. 面会
大柄な男は、玉座には座らず、床に敷かれた鹿皮の上に胡坐をかいて座り込んだ。そして、「さあどうぞ」とばかり、二人に手を広げて見せた。カケルとアスカは、その男の前に並んで座った。
「私が、ここの統領、摂津比古と申す。どうだ、難波津は。面白いところだろう。」
満面の笑顔で、摂津比古は二人に問いかけた。
カケルとアスカは、深々とお辞儀をし、挨拶をした。
「私は、九重から参りましたカケルと申します。こちらは、アスカです。」
「ええ、使いの者からあらかた聞いておる。東国へ向っているとか・・・大和へ入るつもりか?」
「はい・・アスカの父様が居られるのです。どうしても、一目お会いしたいと思っております。」
カケルの返答に、摂津比古はアスカの顔を見て言った。
「そなたの父とはどなたかな?」
アスカは、一度、カケルの顔を見てから答えた。
「葛城の王と聞いております。・・・屋代島にて、リュウキ様より教えられました。」
摂津比古は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに平静を取り戻し言った。
「ほう・・葛城の王とは・・・逢って何とする?」
アスカは答えに困った様子だった。逢いたいとは思っていたが、どうすると問われ答えは無かったのだ。すぐにカケルが答えた。
「私は、アスカを妻としたいと考えております。それゆえ、父様にお会いし、夫婦になる事を許していただきたいと思っております。」
摂津比古は、カケルに訊いた。
「夫婦になるために、わざわざ九重の地から参ったというのか?・・母様はどうした?」
カケルは、屋代島でリュウキから聞いた話を摂津比古に話した。
「昔、東国から韓に向かう船に、須佐名姫と云うお方が乗られていた。そのお方は、王の命により韓へ輿入れされるとの事でしたが、葛城王との契りを交わして居られ、お腹には子がいたそうです。それを知ったリュウキ様が、東国の船から逃がし、匿われた。須佐那姫は、屋代島で無事に子を産み、リュウキ様と伴に暮らして居られたそうですが、東国の兵に見つかり、敢え無く命を落とされたのです。アスカは、須佐那姫の手で船に載せられ、ヒムカの浜に流れ着いたというわけです。」

一通り、話を聞いた摂津比古は、じっくり眼を閉じて何か考えているようだった。
「葛城王がそなたの父と示す証拠はあるのか?」
アスカは、首飾りを取り出して言った。
「これは、母が私に持たせたもの。これが父と母との契りを示すものと思っております。」
「見せてみよ。」
アスカは、摂津比古に首飾りを渡した。摂津比古は首飾りを手にすると食い入るように見つめた。
「確かに、この首飾りにある紋様は、葛城王の紋様に相違ない。・・そうか・・事情はわかった。だが、すぐに葛城王に逢わせる訳にはいかぬぞ。」
摂津比古の言葉は、意外だった。不思議な顔をしている二人に、摂津比古は言う。
「そなたたちも存じていると思うが、今、大和は皇君が崩御され、次の世を廻り、各地で戦が起きておる。・・本来ならば葛城皇こそが、次の皇君になられるべき御人なのだが、それを拒む豪族が数多いる。葛城王は戦を嫌い、今は、身を隠されておる。」
「次の皇君が葛城王?」
「ああ、崩御された皇君の弟君であり、思慮深く、民を大切になさるお方なのだ。だが、葛城王は妻を持たれず、御子も居られぬ。ゆえに、皇君にはならぬと申されているのだ。それに、我が難波一族は、王の姻戚でもある。葛城王の妹君は我が妻なのだ。この時期、わが地より、葛城王の元へ使者を送れば、豪族たちは一層いきり立つであろう。」
「戦の火が一層大きくなると言われるのですね。」
「ああ。我が難波一族が葛城王を次の皇君にと考えているのは、豪族たちも知っておる。故に、われらの手の者が大和へ入れば無事には済むまい。・・ましてや、葛城王の娘・・・いや、姫とその夫となるべき者であればなおの事。・・言わば、そなたたちは、いずれは、皇君になるお方かも知れぬと言う事になるのだ。」
カケルとアスカは、摂津比古の話に驚きを隠せなかった。
アスカは、ただ、自分が何者か、父や母は誰なのかを知りたかっただけであった。だが、父娘の関係を定めることは、この国を背負う定めを受け入れる事になるとは思いもしなかった。
「私はただ・・父に一目お逢いしたかっただけ。ですが、・・・このまま、逢わずに九重へ戻ります。・・皇君になられるようなお方だと判れば、とてもお会いする事など・・・」
アスカの言葉に、摂津比古は切なげな顔で言った。
「そうはいかぬな。私も、そなたが葛城王の姫と知ったからには、このまま知らぬ顔は出来ぬ。・・まあ、しばらく、ここに居られよ。時が来れば、道も開けよう。」
「時が来れば・・とは・・いつの事なのでしょう?」
アスカはすっかり落胆した表情だった。摂津比古は、落ち着いた声で言った。
「カケル殿、そなたにはわかるであろう。」
カケルは、摂津比古の話を聞き、自分達が置かれている状況を悟っていた。もはや、自分たちの意思で動く事ができぬ境遇になっている。もっと早く、大和へ着いていれば、事態は変わっていたのかもしれない。この後、皇君が定まるまでは、大和へ入らぬほうが良いとも思った。
「アスカ、ここは摂津比古様がおっしゃるとおりにしよう。間違いなく、葛城王が、アスカの父と判ったのだ。今しばらく、難波津に身を置いて、時を待とう。」

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1-4 面をつけた男 [アスカケ第5部大和へ]

4. 面をつけた男
「今しばらく、この館に留まられよ。」
納得した表情の二人に、摂津比古が言った。
「いえ・・我らは、鞆の浦のイノクマ様のところへ戻ります。」
カケルが立ち上がると、摂津比古は制するように言った。
「先ほど、イノクマの許へは、使いを出し、しばらく、わしが預ると伝えておいた。・・葛城の王に対面できるまで、ここに居てもらわねばならぬ。アスカ様には、王家の姫に相応しい所作を身につけていただかねばならぬ。カケル殿も、いかほどの者はわしが納得する者でなければ、葛城王に推挙する事もできぬ。・・・まあ、悪いようにはせぬ。わしを信用されよ。」
摂津比古はそう言うと、傍に控えていた者に目配せをした。すると、広間の横の扉が開き、数人の女人が入ってきて、アスカの手を引いて連れて行こうとした。
アスカは最初抵抗したが、カケルがアスカの背を撫でて落ち着かせると、女人達に手を引かれて、広間を後にした。
アスカが広間を出ると、摂津比古は、酒を運ばせ、先ほどの鹿皮の上に再び胡坐をかいて座った。
「さあ、カケル殿。」
カケルは勧められるまま、横に座り、杯を持った。
「もはや、大きな渦が動き始めてしまったようだ。足掻いても逃れられぬものもあるだろう。どうだ、しばらく、わしの片腕として働いてくれぬか。」
「私に何が出来ましょう?」
カケルの答えに、摂津比古はじっと考えた末に言った。
「そなたは、この先、どうしたいのだ?葛城王に逢い、アスカ姫を妻としたのち、どうする?」
カケルは、ナレの村を出てから、自らの生きる意味を問い、自らに求められる事に全力を尽くしてきた。もちろん、常人にはない大きな力を持っていることで、為し得た奇跡もあったが、この難波津にそれを必要とする事などないと思っていた。
カケルは答えに窮している様子を見て、摂津比古は言った。
「まあ良かろう。しばらく、傍でわしの仕事を見ておれ。きっと、カケル殿の力を必要とする事が見つかるだろう。そして、その先には、カケル殿にしか出来ぬ事が見えてくる。」
摂津比古は、酒を杯に注ぎながら大きな声で言った。カケルは、戸惑っていた。
「その顔は、事態は理解したが、わしは信用できぬと言いたげだな。まあ、それくらい用心深いほうが良い。この先、都へ行こうと思うなら、容易く人を信用せぬほうが賢明だろう。」
摂津比古は、カケルの胸中をずばりと言い当てていた。カケルは言う。
「一つ、お伺いして宜しいか?」
「おお、答えられるものは何でも話してやろう。」
摂津比古は少し酔っているようだった。カケルは、傍に居る面をつけた男を見て言った。
「使いに来た者も、あそこに控えている者の、皆、面をつけております。あれは一体・・。」
そこまで言うと、摂津比古は、ふうと息を吐き出して、少し残念な顔をして言った。
「カケル殿も、あの者を見て不気味に思われるか?」
「いえ・・・そうではありません。面をつけているのは、何か事情があるのかと・・・。昔、九重で、手下を黒尽くめの服装に面をつけさせ、手下として使い、命さえ軽んじ、野心に満ちたラシャ王という男と戦った事があり・・・もしや、それと同じのかと・・・」
摂津比古は少しふらつく足で立ち上がると、控えていた男の傍に行き、耳元で何か囁いた。男が、こくりと頷くと、摂津比古は、「済まぬ」と小さく言った。すると、面をつけた男はするするとカケルの傍に近づき、正面を向くと、そっと、面を取った。カケルはその顔を見て、うっと小さく漏らし田が、じっと男の顔を見つめた。男の目は、最初険しかったが、カケルの視線を感じて徐々に柔和になった。
「もう良かろう。さあ、戻れ。済まなかったな。」
摂津比子が言うと、男は、摂津比古に低く頭を垂れたまま言った。
「いえ・・カケル様は、私の顔を真っ直ぐ見られました。忌み嫌う事無く、いたわるように優しい眼差しでした。・・何故か、心の中にほっとした者を感じる事ができ、嬉しゅうございました。」
「ほう・・」
男の言葉に、摂津比古は、驚いた表情でカケルを見た。カケルの目には涙が浮かんでいた。
摂津比古は再び、座り込むと、杯を手に少し沈黙した。
「カケル殿、この者たちを見て、どう思ったのだ?」
「・・はい・・思ったとおり、悲しき定めを背負われていたのですね。・・。」
「実はな・・このような者達を、ここでは念ず者(ねんずもの)と呼んでおる。あの高楼の下の小屋に何人かいる。ここに居る者の中には、病が進んだ者もいる。少しずつ肉が落ち、骨が見え、動けなくなるようだ。」
「やはり、そうでしたか。・・面をつけたのは?」
「あれは、わしの指図ではない。彼らが望んでつけたのだ。醜い顔を見て、忌み嫌い、石を投げる者さえ居る始末だ。彼らは、港の者たちに、そういう不快な思いをさせぬように気遣っているのだ。」
カケルは、摂津比古の心の底を見た気がした。
「何か、直す手立ては無いのですか?」
「一度、韓から来た薬師に診させようとしたが、忌み嫌い、まともに見ようともしなかった。今は、毎日、綺麗な水で身体を洗い、布で包み、痛みを和らげる程度しか出来ぬ。わしの力が足りぬようだ。済まぬな。」
摂津比古は男に声をかけた。控えていた男は啜り泣きをしていた。

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1-5 八百万の神 [アスカケ第5部大和へ]

5. 八百万の神
「判りました。明日から、私は摂津比子様のお供をさせていただきます。」
カケルの気持ちは固まった。
「おお、そうか。良し、ならば、明日の朝、わしと供に河内の内海へ船で出るぞ。良し、良し。これは面白くなりそうだ。・・ときに、カケル殿、その布包みはなにか?」
摂津比古は、カケルの脇に置かれた布包みを指して訊いた。カケルは、布包みを手に取ると、広げて、剣と弓を取り出した。
「難波津の港では先ごろ、兵が人夫を切り殺すという痛ましい事件が起きたそうで、腰に剣をつけて歩くのは危険だとイノクマ様から聞き、こうやって包んでおりました。」
「その剣を見せてくれぬか?」
カケルは、摂津比古に剣を手渡した。摂津比古は、剣を手にして、じっと造作を見ていた。
「見たことも無い形をしておる。鞘は、鹿皮か。見事な作りだ。カケル殿はこれをどこで手に入れられた?」
「この剣は、九重のナレの里で作ったものです。鞘は、父と母が拵えてくれました。」
「ほう・・作ったと言ったが、ナレには刀鍛冶がおったのか?」
「いえ、私自身で作ったものです。古き書物を読み、砂鉄を集め、蹈鞴でハガネを作り、剣にしたのです。・・もちろん、里の者も手伝ってくれました。」
「何?そなたが自分で?・・だが、ナレの里を出たのは、十五の年と聞いたが・・・その前に作ったというのか?」
「はい・・・ハガネ作りまでは尊様たちに力添えもあり、何とかできました。そこから、剣には叩き伸ばし、一昼夜かけて出来ました。」
カケルの言葉を聞き、摂津比古は剣を抜こうとした。しかし、ビクともしない。
「一体、どうしたことだ。抜けぬぞ。」
摂津比古はそう言うと、カケルに剣を戻した。
「この剣は、私にしか抜けぬのです。」
カケルはそう言うと、剣を奉げ眼を閉じ、祈るような仕草をして一気に引き抜いた。
カケルは剣を右手にかかげた。ほのかに光を発しているように見える。
「その剣・・何故、光を放っておるのだ。まるで何かが宿っているように見えるが・・。」
摂津比古は驚きを隠せなかった、
「これを作り上げる時、遥か昔、遠く韓の国から、九重の果てまで我が一族を導き、里を作られた尊様の御霊が、じっと私をお守りくださいました。そして、完成した時、大きな稲妻に打たれたのです。・・ナレの里の巫女様は、この剣には八百万の神が宿っていると申されました。」
「なんと、高貴な光だ。見ているだけで心が満たされていく様でもあり、己の愚かさを教えられるようでもある。畏れ多き力を秘めておる。・・・わしには強すぎる力のようだ。・・・済まぬが・・鞘に収めてくれぬか。」
摂津比古は、剣の光に当てられ、やや疲れた表情を見せた。
「カケル殿が、邪馬台国を蘇らせ、アナト国の新しき王を助け、さらには伊予国にも安寧をもたらされたという話は、この者から聞いていた。さらに、瀬戸の大海に潜む魔物をも倒したと聞いた時には、あまりにも出来すぎた話で、おそらく、半分は作り話ではないかと疑っていたのだが・・その剣を見て、納得した。そなたは、八百万の神に守られておるのだな。」
「八百万の神々の力はいつも感じております。おそらく、こうして摂津比古様とお会いできたのも、きっとお導きに違いありません。」
「ほう・・神のお導きか・・昔、同じような事を聞いた事があるな・・」
摂津比古は小さく呟くと、幼い頃の、葛城王との出会いを思い出していた。摂津比古は、に生まれた。父と伴に山中で、獣を追う毎日だった。その日は、大和の山中まで足を伸ばしたが、獲物が取れないばかりか、父が川に落ち怪我をして動けなくなった。少年であった摂津比古は、助けを求め、ひとり川を下り、川辺にいた葛城王と出遭ったのだった。それ以来、摂津比古は葛城王に仕え、この難波津を取り仕切るまでになった。あの時、葛城王と出会っていなければ今日の自分は無かったと思っていたのだった。

「よし、酒と食事を運べ。今宵は気分が良い。宴を楽しむぞ!」
摂津比古の言葉を聞き、先ほどの男がさっと下がって行った。しばらくすると、何人もの女人が魚や飯、果物が盛られた大皿を抱えてやってきた。そして、その女人が下がると、煌びやかな衣装で、薄く透けるような羽衣をまとった娘が、数人の女人に付き添われて広間に顔を見せた。
「おお、これは美しき哉。さすがに、葛城王の姫。都のどの女人よりも美しいぞ。」
摂津比古の言葉に、カケルは目を疑った。目の前に居る高貴な雰囲気を持つ娘は、アスカだったのだ。伴っているのは、摂津比古の奥方と娘たちであった。
「本当に、驚きました。髪を漉き、わずかに紅をいれただけですよ。真白き肌が天女のごとく美しい。これなら、兄者も喜ばれまする。」
奥方はそう言うと、摂津比古の隣に座った。幼い娘達も、摂津比古の周りに座った。
カケルは、アスカに見とれてしまっていた。
「カケル様、それほど見つめないで下さい、恥ずかしくて溜まりません。」
アスカの言葉に、ようやくカケルは我に帰り、真っ赤になった。アスカは、そっとかけるに寄り添うように座った。
「カケル殿、そなたももう少しまともな衣装にせねば釣り合いが取れぬな!」
摂津比古の言葉に、皆、大笑いした。カケルは、摂津比古にどこか、故郷の父の姿を重ねていた。

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1-6 草香江(くさかのえ) [アスカケ第5部大和へ]

6. 草香江(くさかのえ)
「護衛として、着いてまいれ。衣服も用意した。剣と弓も忘れるな。」
摂津比古は、宴の終いにそう言って、寝室へ下がっていった。
カケルとアスカには、それぞれに部屋が用意された。
アスカの部屋は、摂津比古の奥方の隣、館の一番奥であった。
「葛城王の姫である。いずれ、王に面会できるまで、守らねばならぬ。」
摂津比古はそう言って、館の中でも最も安全な場所に、アスカを置いたのである。
カケルに用意された部屋は、高楼の中段にあり、窓を開けると、夜の闇の中、港のあちこちに灯された篝火の明かりが見えた。大きな運命の歯車が動き始めている。カケルは、港の明かりを見ながらぼんやりと考えていた。

翌朝、摂津比古は、カケルを伴って、河内の内海へ、船を漕ぎだした。
「この衣服は少し目立ちすぎはしませんか?」
カケルは、真っ赤に染められ、ところどころに金糸の刺繍が入った衣服を気にした。
「いや、よく似合っておる。それは、若い頃、わしが着ていたものだ。葛城王をお守りする役を仰せつかっていたのだ。そなたも、護衛ならば当然であろう。」
もともと、身丈の大きなカケルが、派手な衣装を纏い、さらに大きく見えた。
船は、静かな海を滑るように進んだ。
「これが、河内の内海だ。波も無く静かだろう。あそこに見えるのが生駒の御山だ。・・わしはあの山中の里で生まれた。・・山猟師の父に着いて、野山を駆け回ったものだ。」
船は、生駒山を目指し進んだ。
「どこへ向かわれるのですか?」
「もうすぐだ。ほら、そこに見えてきた。」
船が向かったのは、葦の原が広がった大和川が河内に注ぐ口だった。
川縁には、小さな小屋が幾つか建っていた。焚き火の煙も見えていた。船が近づいてくるのに気付いた者が、小屋の中に声をかける様子が見え、すぐに、小屋の中からばらばらと数人が現れた。船が岸に着くと、みな、跪き、摂津比古を迎えた。皆、館で見た、あの黄色い衣服を纏い、面をつけていた。<念ず者>たちがここには住んでいるようだった。
「統領様、変わりはありません。」
「そうか・・気を抜くな。」
摂津比古は厳しい声でそう言うと、生駒山の方角をじっと見つめた。
その様子から、ここは、難波津を守るための砦であることは、カケルにも容易に見当がついた。
「皆に、紹介しよう。・・この者は、カケルと言う。九重の果てからはるばる難波津に参った。我らの知らぬ大いなる力を持っているようだ。しばらく、わしの護衛をする。良いな。」
摂津比古の言葉に、皆、深く頭を下げた。
「カケルと申します。」
男達は、カケルをチラリと見ると、カケルの衣服に驚いた様子だった。
「統領様、あの服は・・。」
一人の男が呟いた。摂津比古はにやりとして、言った。
「気付いたか。そうだ、わしの服だ。・・立派なものだ。護衛役にはちょうど良かろう。」
振り返った摂津比古に、カケルは訊いた。
「摂津比古様、ここに居られる者達は・・やはり、あの病を?」
「ああ、だが、皆、何か役に立ちたいと申してくれてな。・・・それでここらに住んでおる。」
「ここは、難波津の防人たちの住まいなのですね?」
「ああ、そうだ。ここより先、生駒山まで一里ごとに、数人が暮らしておる。何か、あれば、すぐに、館に知らせが届く。この者達が居てくれるからこそ、難波津で安心して仕事が出来るのだ。」
摂津比古は、そう言うと、傍にいた者に訊いた。
「どうだ、皆は変わりないか?」
「痛みが強くなり、動けなくなった者が一人。介抱しておりますが・・なかなか・・。」
「そうか。では、その者は、あとで館へ連れてまいれ。皆、大事にせよ。」
摂津比古は、そう言うと、跪いている念ず者たちの肩を撫でた。
「さあ、戻ろう。」
摂津比古は船に乗った。カケルは、面をつけて者たちに頭を下げ、摂津比古に続いて船に乗った。舟は、葦の原を抜けて、河内の海に出た。
摂津比古は漕ぎ手に何か言うと、舟は止まった。
「ここらは、草香江(くさかのえ)と呼ばれておる。昔は、ここにも里があったのだ。だが、度々、水が溢れ、ここら一体が沼のようになった。いまも、少しずつ水嵩が増している。・・何とかせねばならないが・・・」
摂津比古の言葉どおり、水際に棄てられた家が建っていた。水の中を覗き込んでみると、人家の跡も見えた。
「摂津比古様、私は、明石の里で水路作りを手伝いました。そこも度々水害に遭い難儀をしておりました。・・何か、出来る事があるかもしれません。」
「ほう・・そうか・・。」
「河内の内海は、瀬戸の大海とどこでつながっているのでしょう?」
摂津比古は少し考えてから、
「よし、見てみるか。・・舟を進めよ。」
二人が乗った舟は、難波津の先へ進んで行った。

1-6香江.jpg

1-7 病 [アスカケ第5部大和へ]

7. 病
摂津比古とカケルは、難波津の港を過ぎ、さらにその先に向かった。
「ここが、内海と大海を繋ぐところだ。」
摂津比古が指差した先には、確かに、川のような流れが見て取れた。しかし、そこは、見渡す限りの干潟となっていて、流れを堰き止めている。
「ここの流れを広げられれば、内海の水も外へ出て行くはずですね。」
カケルの言葉に、摂津比古が溜息交じりに応えた。
「以前、ここを少し掘り下げられぬかとやってみたのだが、なにぶん、この干潟、溝をつけてもすぐに埋まってしまう。足を踏み入れると腰まで埋まるところもある。難儀なうえ、掘り進めても、すぐに、流れで砂が溜まり、一潮で埋まってしまうのだ。以前は、ここももう少し水が流れていたのだが・・また砂が増えたようだな。」
カケルはじっと流れを見ていたが、とても掘り下げる事はできないと感じた。
「しかし、このままでは、ますます内海の水が増え、そのうち、この辺りは人が住めなくなるだろう。何とかして、水を吐き出させねばならぬのだが・・・。」
摂津比古とカケルは、一旦、難波津の館に戻る事にした。

 アスカは、翌日から、奥方に付いて、行儀作法を身につける日々となった。女人たちが、朝から、アスカに衣装を着せ、食事や所作を手取り足取り教えた。
「そなた、韓の言葉をわかりますか?」
「いえ・・」
「都には、遥か海を越えて渡ってきた韓の者たちが多く、都人(みやこびと)は、韓の言葉を話すことが出来るそうです。せめて、韓の文字を知らねばなりません。」
奥方は、そう言うと、部屋から幾つかの巻物を携えてきた。一つを解き、アスカの前に広げた。
「あら・・これは・・・。」
アスカは驚いた。全てではないが、多くは、カケルから教わった古の言葉と同じだった。カケルの祖先も、韓から海を渡り九重に住み着いたと聞いていた。
「奥方様、この文字なら、読めます。カケル様から、随分、教わりました。ええ・・読めます。」
アスカは巻物を手に取ると、声に出して読み始めた。奥方は驚いた。自分さえ、まだ半分も読めずにいたのだ。読みながら、アスカはふと思いついた。
「奥方様、こうした巻物は他にもあるのですか?」
「ええ・・蔵にいけばたくさんあります。いずれも、昔、韓の船が運んできたもの。」
「それを見せていただけませんか?」
「どうしようと言うのです?」
「・・・カケル様は、同じような書物から、病に効く薬草を探し当てられました。もし、そうした書物があれば、病を治す手立てが見つかるかもしれません。」
奥方は、アスカの考えに応え、館のはずれにある蔵へアスカを連れて行った。高床の蔵に入ると、幾つかの棚に、たくさんの巻物が積まれていた。その日から、アスカと奥方は、巻物を一つ一つ開いて、病に関わる記述がないか調べていった。

館に戻ると、アスカが幾つかの巻物を手にカケルのもとへやって来た。
「カケル様!」
「どうしたのだ?」
「・・実は・・あの者たちの病を直す手立ては無いものかと・・蔵にある書物を調べておりました。・・ですが・・書かれた文字が難しくて・・・カケル様ならばお分かりになるのではと・・。」
アスカが、病に関わると考えた巻物をカケルに手渡した。
カケルは、幾つかを広げて見た。
「・・これは・・韓の言葉ではないようだな・・似ているが・・少し違う。・・おそらく、隣国の書・・漢という国のものではないか?」
カケルはそう言うと、他の巻物も広げ始めた。
「部屋に持っていこう・・じっくり見なければ判らぬ。」
カケルはそう言うと、アスカが運んできた巻物を全て抱えて、自分の部屋に持っていった。アスカもカケルの後を付いて、部屋に入った。二人は、巻物を一つ一つ広げ、比べ、韓の言葉と同じ文字を手がかりに、巻物に記された文字を読み解いていく。時折、奥方が顔を出し、様子を見ると、食事や灯りを部屋に運ばせた。

「カケル様は、素晴らしき知識をお持ちのようですね。」
奥方は、カケルとアスカの様子を摂津比古に伝えながら、感心したように言った。
「ああ・・おそらく、カケル様とアスカ様は、いずれ、この国を治めるお方になるであろう。」
「では・・その事を葛城王様へもお伝えせねば・・・きっとお喜びになられるでしょう。」
「ああ、そうしよう。きっと葛城王も、お二人の存在をお知りになれば、考えもお変わりになるやも知れぬからな。」

カケルとアスカは、夜を徹して、巻物に取り付いて調べ続けた。
東の空が白み始めた頃、カケルはようやく一つの記述に辿りついた。
「アスカ、おそらくこれが病の治し方だろう。少し判らぬところもあるが・・爛れた肉を癒すと書かれている。・・・試してみないと判らないが・・今は、これしか判らぬ。」
「何と書かれておるのですか?」
カケルは、アスカに記述されている内容を聞かせた。

1-7干潟.jpg

1-8 治療 [アスカケ第5部大和へ]

8. 治療
「奥方様、お願いがございます。」
アスカは、カケルと見つけた治療法を携え、奥方の部屋へ行き、着替えを済ませたばかりの奥方を前に、治療方法について説明を始めた。
それを聞いた奥方は、戸惑いながら言った。
「誰かで、試してみないことには・・・」
脇に控えていた、<念ず者>が言った。
「昨日、病が進んで館へ運ばれてきた者が居ります。・・介抱せねばならぬところです。その者に頼んでみましょう。」
すぐに、アスカは、女人を何人か集め、竹籠を抱えて、館を出た。
「どこに行かれるのですか?」
「・・治療の為の薬草を探すのです。この時期ならば、きっとどこかに生えているはず。」
女人の一人が、それならばと案内をした。館を出て、北側の斜面を降りていく。河内の内海が朝日を浴びてきらきらと輝いて見えた。
「ほら、あそこです。・・我らも幾度かここで草摘みをしております。」
すぐに、アスカは草叢へ分け入った。姫が先に草叢に入るなど、女人達は慌てたが、アスカは構うことなく、どんどんと入っていく。
「何という草なのですか?」
「スミレです。紫の花を咲かせているはず。」
アスカはそういうと、必死に足元の草を分けて探した。付いてきた女人たちも、アスカ同様、必死に探した。
「日陰に咲いているはず。」
「あ・・ありました!」
一人の女人が、土手になっている場所に花を見つけた。アスカは草を分けつつ、声のするほうへ走った。
「ええ・・これ・・これです。・・篭いっぱいに摘みましょう。」
すぐに手分けして摘み始め、あっという間に篭いっぱいになった。それを抱えて館へ戻った。
「次は何をなさるのですか?」
「積んだ草は、天日に干します。一日ほど干してから、煎じ薬を作ります。」
皆で手分けして、館の庭に広げた。天火に干すと、徐々に小さくなっていく。
「これだけでは・・足りませんね。・・もっと摘んで来なければ・・。」
それを聞いた女人が言った。
「花摘みなら、娘子にも手伝わせましょう。さあ、行きましょう。」
そう言うと、数人の女人が連れ立って、港のほうへ出て行った。
「他には?」
アスカは少し考えてから、
「それでは・・白い布を集めましょう。・・あの方たちの身体を綺麗に拭き清めなければなりません。たくさんの布が必要です。」
吹き清めると聞いて、女人達はざわめいた。これまで、触れると自らも病に罹ると聞いていた。
「吹き清めると・・・あの者たちの身体に触れるのですか?」
女人の一人が恐る恐る訊く。
「ええ・・熱いお湯を沸かし、綺麗に拭いて差し上げるのです。そうして、清潔にする事が病を治す手立てなのです。」
「しかし・・・。」
女人たちはたじろいでいる。その様子をアスカはすぐに理解した。
「まずは、お一人の方を試しに私がやってみます。・・効果が無いようなら別の手立てを考えます。とにかく、布がたくさん必要なのです。」
女人達は、とりあえず、港へ行き、手に入る白い布を探す事にした。

翌日には、件の<念じ者>が、仲間の手で、館の中庭に運び込まれた。摂津比古や奥方、カケルも見守る中、いよいよ治療が始められた。竃には、大甕に大量の湯が湧いていた。
「さあ、黄色い布を解いて、爛れている肌を見せてください。」
アスカは、手元に、用意した布と湯を入れた甕を置いた。湯は火傷するほどの熱さだった。
その<念じ者>は、爛れた両方の腕をそっと出した。アスカが、手を差し伸べようとしたところで、一人の娘が進み出た。
「私にやらせてください。」
その娘は、ナツという名だった。幼い時、ナツの父も母も、同じ病で命を落としていて、摂津比古の奥方が、引き取って育てたのだった。
ナツは、優しくその手を取ると、肌に張り付いて取れなかった黄色い布を少しずつ剥がした。肌からは黄色い膿が出ていた。
「少し痛いかもしれませんが、我慢できますか?」
アスカが問うと、<念じ者>は無言で頷いた。ナツは甕から柄杓で湯を掬い取り、爛れた肌に少しずつかけた。<念じ者>は、一瞬「ううっ」という呻き声を上げる。
「痛いですか?」
ナツが気遣うと、<念じ者>は、首を横に振り、ぐっと我慢した。何度か、湯をかけると、膿が全て流れ出て、赤くなった肌には血が滲んでいた。
「そっと血を拭き取って、白い布を捲いてください。それから、煎じ薬を飲んでください。」

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1-9 効果 [アスカケ第5部大和へ]

9. 効果
一通り、治療を終え、<念じ者>は館の風の抜ける広間に寝かされた。
「これで良くなればいいのですが・・・。」
アスカは、そっと呟いた。カケルは、一部始終を見ていて、ある事を思いついた。
「アスカ、傷を洗い膿を取り、綺麗な布で捲くのは良いが・・おそらく、布が乾き、傷口に貼りついてしまうだろう。・・傷口に何か施した方が良いな。」
「ええ・・何か・・よい方法はないでしょうか?」
「昔、傷を負ったとき、葦野の里で、どくだみの葉を貼り付けてもらったことがある。あれなら、傷口に貼りつくこと無いだろう。・・どこかで手に入れ、使ってみたらどうだろうか?」
「・・まあ、それはきっと良いはずです。」
アスカはカケルの考えに賛同し、すぐに女人たちを集めた。
昨日、スミレを摘んだ女人たちは、アスカの話を聞きすぐに篭を持ち、再び、山へ出て行った。

翌日からは、同様の治療に加え、傷口にどくだみの葉を貼り付けるようにした。三日ほど経つと、傷口からは黄色い膿は出なくなっていた。
「随分、楽になりました。ここへ来た時は、体中が痛くて溜まりませんでしたが・・もう、痛みも無くなりました。」
<念じ者>は、布を捲かれながら、笑顔で言った。
摂津比古と奥方は、感心して聞いていた。
「もうしばらくで、普段のように動けるようになるでしょう。今日まで、痛みに耐え頑張られましたね。貴方がいらしたからこそ、ここまで来れました。本当にありがとうございました。」
アスカも<念じ者>の手を取り、喜んだ。

「よし、これなら直せそうだな。・・他の者も、治療をしよう。」
摂津比古は、これまでの様子を見て、確認するように言った。
それに応えるようアスカが言う。
「おそらく、これほど病が進んで居られぬ人ならば、あの煎じ薬を飲むだけでも良いかもしれません。あるいは、湯で身体を洗い、どくだみの葉を貼るだけでも効果はあるでしょう。薬草もそれほど多くありませんから、まずは病の進んでいる方から治療を始めましょう。」
「そうか・・・ならば、一人ひとりの様子を確かめると良いな。」
摂津比古は、動ける<念じ者>を集めて、皆の様子を調べさせた。そして、動けぬほどに病の進んだ者を館に運ばせ、動けるものには、薬草を採るように命じた。
最初は、躊躇っていた女人たちも、ナツが進んで、湯で身体を洗う仕事をし、元気な様子を見て、病は簡単には罹らぬ事が判り、アスカを援けるようになった。ナツは、皆に、どのように身体を洗えばよいか、どうすれば痛みが少ないか、熱心に教えた。

難波津で、身体が爛れる病の治療をしているという話は、港に着く船を通じて、西海の国々にも伝わり、時には、遥か遠方からも、治療の方法を知る為に、訪れる者も現れるようになっていた。
摂津比古は、館の隣に、治療を行なうための建物を作った。そこには、病の者が休む部屋を始め、湯を沸かす為の竃や、煎じ薬を作る場所、そして、庭には薬草を育てる畑も作られた。噂を聞いて、近くの里から多くの女人たちも集まり、病の者への治療の手が増えていった。
最初に治療をした<念じ者>は、爛れた皮膚もすっかり無くなり、普段の暮らしが出来るようになっていた。
「アスカ様、私にも、漢や韓の文字を教えてください。」
ある日ナツが、仕事をしながらアスカに言った。
「ええ・・良いけれど・・・文字を覚えてどうするの?」
「はい、きっと他にもいろいろな病の治し方があるでしょう。それを見つけたいのです。」
ナツの目は輝いていた。アスカは思った。ナツの言うとおりだ、この病に限らず、熱にうなされたり、吐き戻したりして命を落とす者は居る。怪我をして動けなくなったものもいる。そうした者たちも、ここで治療できるようになれば、きっと皆がもっと安心して暮らせるはずだった。
「良いわね・・・私もまだ良く判らない言葉はあるけれど、一緒に、探してみましょう。・・カケル様にもお教えいただければ良いでしょう。」

アスカの治療が順調に進んでいるのとは裏腹に、カケルが手掛けている、河内の内海の水害への対処は思うように進まなかった。
何度か、外海と内海を繋ぐ干潟に、濠を作れないかと模索し、石を運んだり、土嚢を積み上げたりしたが、大潮が来る度に全て壊されてしまっていた。

ある夜、高楼の部屋にいたカケルの処へ、アスカがナツを伴って顔を見せた。アスカは、ナツが言い出した話をカケルに聞かせた。するとカケルが済まなそうな表情で言った。
「アスカ、私は、摂津比古様には許しを貰い、明日には、明石のオオヒコ様のところへ行くことにしているのだ。・・あれだけの港を作られたお方なら、何か妙案をお持ちかもしれない。」
長い期間、二人が離れるのは、九重のハツリヒコの砦での戦以来の事だった。アスカの胸に、何か途轍もない不安がこみ上げてきた。しかし、今、この地を離れるわけにはいかない。ようやく治療の順調に進み始めたところだ。
カケルは、不安そうなアスカに気付いた。
「すぐに戻る。イノクマ様の話では、三日もあれば戻れるそうだ。戻ったら、ナツとともに、他の病の治し方も見つけよう。それまで、待っていてくれ。」
夜空に輝く月に、黒い雲が掛かっていた。

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1-10 明石へ戻る [アスカケ第5部大和へ]

10. 明石へ戻る
カケルは、イノクマの船で明石へ向かった。一日で到着し、すぐにオオヒコの許を訪ねた。オオヒコと奥方は、カケルを歓迎し、恒例の宴へ同席させた。その夜も、西海のあちこちの里から、多くの船が来ていて、宴は盛り上がっている。
「我がアナトの国は随分変わったぞ。・・新しい王は、佐波の海の真ん中に浮かぶ小さな島に館を作り、行き交う船を立ち寄らせては、国中の話を聞いてくれるのだ。・・で、何か困ったことが起きるとすぐに出かけて行って、解決なさる。・・本当に素晴らしき王だ。」
酒に酔った男が、酒壷を抱え、自慢げに話をしている。それを聞いていた別の男も、立ち上がると、宴の席じゅうに響くような声で言った。
「伊予とてなかなか。豊かな実を実らせる畑が国中に広がっている。・・そうそう、海の向こうのヒムカの国とも交易を始めたのだ。本当に素晴らしきところだぞ!」
他にも、おのおのに、国自慢をしている。カケルは、そうした話を耳にして、何か、途轍もなく嬉しく、幸せな気持ちになれた。
「どうです、カケル殿。皆、幸せそうな顔をしているでしょう。・・ここの港に集まる者はみなあのように元気が良い。港を作った頃は、皆厳しい顔をしていました。どうやら、西海には、随分と、安寧な国が増えたようです。民も皆、喜んでいるはずです。」
「ええ・・そのようですね。・・」
「カケル殿のなされた事が、西海の国々を変えてきたようですね。」
「いえ、私の力などたいしたものではありません。皆が力を合わせたからこその事でしょう。・・ところで、淵辺の里は、いかがですか?」
カケルの質問に、オオヒコは笑顔を見せた。
「・・皆、あれから必死に里作りを進め、豊かな農地を作り上げました。今年の秋には、たくさんの米や黍がここから東国へ送れるでしょう。思った以上に良い里になりましたよ。明日にでも行かれるが良い。きっと、皆も、カケル殿に会いたいはず。是非にも。」

翌朝、カケルは淵辺の里へ向かった。
前日のうちに、オオヒコから淵辺の里へ知らせが送られていて、淵辺では、アタルとユキが、カケルが訪れるのを待っていた。
カケルは明石の港から、小舟で淵辺へ向かった。小舟は、一旦、海へ出て、水路伝いに里へ入った。アタルたちと一緒に作り上げた主線の水路からは、四方に細い水路が延びていて、最初に描いた以上に、大きな水郷になっていた。あちこちに小さな倉も建っていた。収穫物をたっぷり蓄えられるように作ったものだった。
「あれが、長の館です。」
丘の中腹辺りに、小さな館が建っていて、二人が手を振り、カケルを出迎えているのが見えた。
「ようこそ、おいでくださいました。」
アタルが深く頭を下げ、カケルを出迎えた。ユキの腕には、赤子が抱えられている。
「御子が生まれたのですか?」
「はい・・春に生まれたばかりです。・・男の子です。」
ユキは嬉しそうに抱きかかえた赤子をカケルに見せた。
「名は?」
カケルの問いに、ユキは少し困ったような表情で、アタルの顔を見た。アタルは、少し戸惑いながら言った。
「・・いろいろ考えたのですが・・実は、強く賢い男になってもらいたいと願いを込めて・・その・・・カケルと名づけました。・・勝手に・・済みません。お許し下さい。」
アタルは申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうか・・カケルか・・・いや、構いません。私の名で良ければ・・いや・・私も嬉しい。同じ名を持つ者が、この里をいずれ治めるというのも嬉しいものです。ありがとう。・・強く、育てよ!」
カケルは、笑顔で、ユキの抱える赤子にそっと手を当てて、愛おしむような仕草をして言った。アタルもユキも、ほっとしたような表情をして、我が子を見つめた。
「それにしても、素晴らしい里になりましたね。・・随分、苦労したでしょう。」
カケルは、遠く里の様子を眺めながら言った。
「いえ・・皆、よく働き、周りの里や明石からも手伝いに来てくれました。私一人の力ではありません。皆が本当に頑張ってくれました。豊かな水のほとりで暮らす・・何よりの幸せです。恐ろしき水が、ありがたき水に変わりました。」
アタルも満足そうに答えた。
「カケル様は、何用でこちらに参られたのですか?てっきり大和へ行かれたものと思っておりましたが・・。」
ユキが訊いた。カケルは、難波津での日々の様子を話した。
「アスカ様は、変わらず、命をお救いされる役をされているのですね。・・目に浮かぶようです。きっと、休む事も忘れて働いておられるのでしょう。」
ユキは嬉しそうに言った。
「実は、河内の内海が、度々水害を起こすのです。外海への水路を作ろうとしましたが・・なかなか上手くいかず、何か策は無いかと明石へ参ったのです。オオヒコ様やアタル様から何か知恵をいただけぬかと・・。」
カケルは、難波津の様子を詳しく話し、水路作りの苦労も話した。アタルは頭をひねった。

1-10水辺風景.JPG
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